やはり3.11が近いというこで、特集は「それぞれの「雨ニモマケズ」」。東日本大震災後、改めて見直されるようになった、賢治歿後、光太郎がその「発見」の現場にも立ち会い、賢治の故郷・花巻に建った詩碑の揮毫を請け負った「雨ニモマケズ」が取り上げられています。
棟方志功の版画など、後世の人々のオマージュ作品。
連載「生(いのち)を削って生(いのち)を肥やす 高村光太郎のことば」も、それとリンクして賢治がらみです。
画像は、光太郎自身の揮毫になる短歌「みちのくの 花巻町に 人ありて 賢治をうみき われをまねきゝ」。それから、昭和24年(1949)9月21日の『花巻新報』に掲載された「宮沢賢治十七回忌」という文章の抜粋。
オンラインで入手可能です。ぜひどうぞ。
【折々のことば・光太郎】
思考の外なるもの、思ひがけず新鮮なるものは常に自然の中にのみある。
散文「能面の彫刻美」より 昭和13年(1938) 光太郎56歳
日本古来の能面を彫刻家の視点で分析した文章から。実際の人間の深い写生から、人間そのものの象徴にまで昇華している能面を賛美し、舌を巻いています。自身の彫刻にも、こうした部分を取り入れていっているのではないでしょうか。