東北レポートの2回目、青森十和田湖……に、行く前に、昨日書きました秋田県小坂町の件が報道されていますので、ご紹介します。

高村光太郎の手紙新たに多数発見

 彫刻家で詩人の高村光太郎が出版社と編集の相談をした手紙など、34通が新たに見つかり、3月から秋田県小坂町の博物館で展示されることになりました。
 手紙は高村光太郎が昭和17年から29年にかけて、出版社「龍星閣」の代表、澤田伊四郎さんに送った67通で澤田さんの自宅でもあった東京・千代田区の龍星閣で遺族が保管していました。
 澤田さんが秋田県小坂町出身だったことから小坂町に寄贈され、町や専門家が調べたところ、34通が未公開であることがわかりました。
 高村光太郎は龍星閣から代表作の詩集「智恵子抄」を出版していて、昭和24年12月の手紙では、続編にあたる「智恵子抄その後」の出版について、高村は「まづものにならないと思ひます」などと書いていて、出版に乗り気ではなかったことがわかります。
 岩手県花巻市の高村光太郎記念館のアドバイザーを務める小山弘明さんは「これほどの量の手紙が見つかることはあまりなく、驚いた。出版の経緯なども書かれ、文学史的にも価値が高い」と話しています。
 手紙は、3月11日から小坂町の総合博物館郷土館で開かれる企画展で一般公開される予定です。
(2018/02/14 NHK NEWSWEB秋田)

イメージ 1 イメージ 2
イメージ 3 イメージ 4

秋田ではNHKさんのローカルニュースで放映されました。当方も出演させていただきました(笑)。

高村光太郎の書簡34通発見 秋田

 彫刻家で詩人の高村光太郎(1883~1956年001)が詩集出版を巡り編集者とやりとりした書簡34通が、秋田県小坂町で見つかった。いずれも全集に収められておらず、担当者は「高村研究の空白部分を埋める価値がある」としている。
 小坂町立総合博物館郷土館の安田隼人学芸員(34)によると、書簡は1942~54年のもの。代表作の詩集「智恵子抄」の続編「智恵子抄その後」について「ものにならないと思います」と記しており、高村が出版にあまり乗り気ではなく、書籍として売れるかどうか不安を感じていたことがうかがえる。
 青森県十和田市の湖畔に立つ高村最後の彫刻「乙女の像」を巡り、設置場所の視察のため「十和田湖を見に行くことになりそうです」などと書いたものもある。
 書簡の相手は、詩集を出版した竜星閣(東京都千代田区)の元社長で、小坂町出身の故沢田伊四郎氏。昨年5月ごろ、同社から高村など複数の作家や画家の書簡、メモ類を寄贈された町立総合博物館が調査していた。
 同館は3月11日~5月20日、今回見つかった書簡34通を無料で一般公開する。
(2018/02/14 共同通信)


共同通信さんの配信を元に、『日本経済新聞』さんや全国の地方紙に記事が載ったようです。


さて、そちらの調査中に、青森県十和田市役所の山本様が車で迎えに来て下さり、十和田湖へ。十和田湖も西半分は小坂町ですが、県境を越えた青森側の休屋地区で、「十和田湖冬物語2018」が開催中です。当方、平成26年(2014)に一度お邪魔し、2度目でした。

まずはライトアップされている光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」を見に行きました。4年前は湖畔を歩いていきましたが、今回は十和田神社さんの参道を歩きました。こちらには雪灯籠的なものが設置されています。画像は山本様の撮影したもので、写っている不審な男は当方です(笑)。

イメージ 6

この辺りは除雪もきちんとなされ、さらに杉並木などの樹木のおかげでしょうか、雪はそれほどではありませんでした。ところが、「乙女の像」近くまで行くと、まともに湖からの風雪が舞って来ており、道なき道。

イメージ 7

「僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る」(「道程」大正3年=1914)状態でした(笑)。

ちなみに明朝、NHK Eテレさんの幼児向け番組「にほんごであそぼ」中で、坂本龍一氏作曲の「道程」が放映されます。以前に放映されたものの使い回しですが。 

にほんごであそぼ

NHK Eテレ 2018年2月16日(金)  6時35分~6時45分   再放送 2018年3月2日(金) 6時35分~6時45分

2歳から小学校低学年くらいの子どもと親にご覧いただきたい番組です。日本語の豊かな表現に慣れ親しみ、楽しく遊びながら“日本語感覚”を身につけることができます。
今週は、リクエスト&ちょい暗記特集! 鈴と、小鳥と、それから私。みんなちがって、みんないい。「私と小鳥と鈴と」金子みすゞ、花鹿亭/「不老不死」桂宮治、投稿ちょちょいのちょい暗記/8級「寿限無」、歌/道程、私と小鳥と鈴と。

出演 美輪明宏 三世桐竹勘十郎 小錦八十吉 桂宮治 ほか


閑話休題。ライトアップされた「乙女の像」。

イメージ 8 イメージ 9

画像ではわかりにくいところですが、湖からの風が積もった雪を舞い挙げ、地吹雪となっていました。この像へのオマージュとして作られた光太郎詩「十和田湖畔の裸像に与ふ」(昭和28年=1953)には、「すさまじい十和田湖の円錐空間にはまりこんで/天然四元の平手打をまともにうける/銅とスズとの合金で出来た/女の裸像が二人/影と形のやうに立つてゐる。」とありますが、まさしくそういう感じでした。


その後、メイン会場へ。

イメージ 10 イメージ 11

イメージ 12 イメージ 13

イメージ 14 イメージ 15

イメージ 16 イメージ 17

イメージ 18 イメージ 19


003

陸上自衛隊八戸駐屯地の隊員さんたちが002作った大雪像兼メインステージでは、さまざまなパフォーマンス。それから、パビリオン的に、かまくらバーやかまくらチャペル、雪の滑り台などなど。

青森県側なのに、なぜか「秋田犬コーナー」も。おりこうさんなわんこで、モフモフでした(笑)。

昨秋、BS朝日さんで放映された「暦を歩く #140「乙女の像」(青森県十和田湖)」に、女将さんがご出演なさった十和田神社さんの鳥居近くのもりた観光物産さんが出されているプレハブのお店で夕食をいただきました。

外はマイナス10℃。低温のためスマホの電源が落ち、入らなくなった時もあった状態でしたので、生き返りました。

メインイベントは、午後8時からの花火。直前には大雪像を使ったプロジェクションマッピングで、「乙女の像」も写りました。

イメージ 25

イメージ 23

イメージ 24

幻想的な光景に、歓声が上がっていました。


「十和田湖冬物語2018」、今月25日の日曜日までです。ぜひ足をお運びください。

この後、また山本様に小坂町まで送っていただき、宿泊。翌日は岩手。明日、レポートいたします。


【折々のことば・光太郎】

われわれは古代人の闊達な心を以て世界のあらゆる美を併呑し駆使し、日本の持つ美の源泉から更に新鮮無比な未曾有の美を創造して、あまねく其の光を以て世界を包みこむやうになる時代に向つて邁進せねばならないのである。
散文「内面的力量の問題」より 昭和17年(1942) 光太郎60歳

太平洋戦争中の文章ということで、きな臭さも感じられますが、趣旨としては誤りではありませんね。