元日の『神戸新聞』さん。一面コラムの「正平調」で、光太郎に触れて下さいました。

正平調 2018・1・1

長い1本の道が続いていた。脇には昔のままプラットホームがあり、さびたレールもそこだけは残されている。年の暮れ、三木鉄道の廃線跡を歩いた◆播州鉄道として開業したのは1916(大正5)年のことである。国鉄、そして第三セクターと運営形態は時代とともに変わっていったが、乗客は次第に少なくなり、2008(平成20)年にその役割を終えた◆この春で廃線からちょうど10年になるのを前に、旧三木駅からの片道約5キロが遊歩道として整備されつつある。古い駅舎をイメージした休憩所が建ち、沿道につくられた花壇ではパンジーの花が風に揺れていた◆〈僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る〉。高村光太郎の詩「道程」の一節である。思えば明治の世が明けてからの150年は、豊かさを求めて前を向き、ひたすら汽車を走らせてきた道程だったのだろう◆このごろはどうしたわけか“遺産ブーム”で、近代産業、文化といった歴史の痕跡に再び光があてられている。後ろにできた道をふと振り返りたくなるのは、進むべき未来に迷いが生じてきたせいかもしれない◆今年は平成から新時代へとレールをつなぐ1年となる。“中継駅”のホームに立ち、来た道、行く道をじっくり見つめる。そんな年にしたい。

1868年が明治元年でしたので、今年、2018年は、明治に換算すると151年ということになります。元号としての明治150年でなく、明治元年から始まった維新が150年ということで、いろいろな立ち位置から、それにかかわる記念事業等も計画されているようです。どうも判官贔屓というか、天の邪鬼というか、敗者の歴史に心牽かれる当方としては、新選組の近藤勇や沖田総司らの歿後150年という意味で感懐が涌いたりもします。

さて、『神戸新聞』さん。兵庫県内の三木鉄道廃線跡にからめ、「思えば明治の世が明けてからの150年は、豊かさを求めて前を向き、ひたすら汽車を走らせてきた道程だったのだろう」とし、光太郎の道程を引きつつ、「今年は平成から新時代へとレールをつなぐ1年となる。“中継駅”のホームに立ち、来た道、行く道をじっくり見つめる。そんな年にしたい。」と結んでいます。その通りですね。

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【折々のことば・光太郎】

効果を横に並ぶるは卑し。有れども無きが如くすべし。

散文「彫刻十個條」より 
大正15年(1926) 光太郎44歳

あくまで自然に見える彫刻を、光太郎は目指しました。しかし、感覚的にさらっと造るのではなく、さまざまな技法を駆使し、ある種の超絶技巧も含みます。それがそうとわかるような、というか、技法を駆使していることを自己主張するような彫刻では駄目だ、ということでしょう。

彫刻のみならず、人生全般に当てはまるような気もします。

ちなみに右は光太郎の代表作の一つ、「手」。おそらく大正7年(1918)の制作と推定されますので、ちょうど100年前の作ということになり、各種展覧会で出品される際にはコメントしてほしいものです。