今年一年の回顧、2回目です。4~6月を書きます。
4月1日(土)
北海道釧路で刊行されている文芸同人誌『河太郎(かたろう)』の43号が発行されました。光太郎に触れる横澤一夫氏による「原始の詩人たちの時代 『 至上律 』『 北緯五十度 』『 大熊座 』」が掲載されています。
北海道釧路で刊行されている文芸同人誌『河太郎(かたろう)』の43号が発行されました。光太郎に触れる横澤一夫氏による「原始の詩人たちの時代 『 至上律 』『 北緯五十度 』『 大熊座 』」が掲載されています。



同日、光太郎第二の故郷ともういうべき花巻では、詩碑前祭、花巻連翹忌法要が行われました。

同日、高村光太郎研究会さんより『高村光太郎研究 (38)』、当会から『光太郎資料 47』が刊行されました。


4月5日(水)
光太郎に触れた御著書等もあった詩人の大岡信氏が亡くなりました。
光太郎に触れた御著書等もあった詩人の大岡信氏が亡くなりました。

4月6日(木)
4月8日(土)
NHK BS1さんで「実践! にっぽん百名山 「安達太良山」」が放映され、光太郎智恵子に触れられました。4月18日(火)、7月29日(土)に再放送がありました。
4月8日(土)~5月7日(日)
福島県二本松市の智恵子生家で、通常は立ち入り禁止となっている智恵子の居室を含む二階部分の期間限定公開が行われました。30日(日)までは、生家裏手の智恵子記念館で、紙絵の実物展示も行われました。
福島県二本松市の智恵子生家で、通常は立ち入り禁止となっている智恵子の居室を含む二階部分の期間限定公開が行われました。30日(日)までは、生家裏手の智恵子記念館で、紙絵の実物展示も行われました。


4月10日(月)
花巻市の高村山荘裏手の高台の「智恵子展望台」がリニューアル整備されました。
4月11日(火)
盛岡市の盛岡地区更生保護女性の会さんの総会が開催され、その中で当方の講演「心はいつでもあたらしく 高村光太郎 つまずきと反省と求道と」を組み込んで下さいました。
盛岡市の盛岡地区更生保護女性の会さんの総会が開催され、その中で当方の講演「心はいつでもあたらしく 高村光太郎 つまずきと反省と求道と」を組み込んで下さいました。


4月14日(金)~6月26日(月)
花巻市の高村光太郎記念館さんで、企画展「光太郎と花巻の湯」が開催されました。
4月15日(土)〜6月18日(日)
福島県いわき市の草野心平記念文学館さんで「春の企画展 草野心平の詩 料理編」が開催され、光太郎智恵子の通った焼き鳥「いわき」,、居酒屋「火の車」に関する展示も為されました。
福島県いわき市の草野心平記念文学館さんで「春の企画展 草野心平の詩 料理編」が開催され、光太郎智恵子の通った焼き鳥「いわき」,、居酒屋「火の車」に関する展示も為されました。


4月17日(月)
文京シビックホール小ホールで、「新井俊稀クラシカルサロンコンサートVol.14」が開催され、野村朗氏作曲の「連作歌曲 智恵子抄」が演奏されました。
4月20日(木)
隔月刊誌の『花巻まち散歩マガジン「Machicoco(マチココ)」』が創刊されました。花巻高村光太郎記念館さんの協力で「光太郎のレシピ」が連載されています。
隔月刊誌の『花巻まち散歩マガジン「Machicoco(マチココ)」』が創刊されました。花巻高村光太郎記念館さんの協力で「光太郎のレシピ」が連載されています。


4月22日(土)
信州安曇野の碌山美術館さんで、「第107回碌山忌」が開催されました。研究発表フォーラム・ディスカッション「荻原守衛-ロダン訪問の全容とロダニズムの展開-」。同館学芸員の濱田卓二氏が、文献から推定される、守衛のロダン訪問の時期、内容等について。碌山友の会会長を務められている幅谷啓子氏から、近代日本でのロダン受容史について。最後は、地元ご出身の彫刻家・酒井良氏が、実作者の立場から。それぞれ、光太郎にも触れる発表をしていただき、興味深く拝聴しました。
4月22日(土)・5月27日(土)・6月24日(土)
秋田県生涯学習センターさんで「【あきたスマートカレッジ】文学リレー講座~戦中・戦後の文学~高村光太郎」が、北条常久氏を講師に行われました。第一回が「青年光太郎『道程』 ~彫刻家父光雲と詩人光太郎~」、第二回は「光太郎と智恵子『智恵子抄』 ~智恵子の愛に清められ~」、第三回に「戦中・戦後の光太郎『暗愚小伝』 ~花巻高村山荘での生活~」でした。
秋田県生涯学習センターさんで「【あきたスマートカレッジ】文学リレー講座~戦中・戦後の文学~高村光太郎」が、北条常久氏を講師に行われました。第一回が「青年光太郎『道程』 ~彫刻家父光雲と詩人光太郎~」、第二回は「光太郎と智恵子『智恵子抄』 ~智恵子の愛に清められ~」、第三回に「戦中・戦後の光太郎『暗愚小伝』 ~花巻高村山荘での生活~」でした。
4月23日(日)
コールサック社さんから森三紗さん著『宮沢賢治と森荘已池の絆』が刊行されました。「高村光太郎と宮沢賢治と森荘已池」という章を含みます。
コールサック社さんから森三紗さん著『宮沢賢治と森荘已池の絆』が刊行されました。「高村光太郎と宮沢賢治と森荘已池」という章を含みます。


4月27日(木)
求龍堂さんから酒井忠康氏著『片隅の美術と文学の話』が刊行されました。「高村光太郎―パリで秘密にしたもの」「高村光太郎の留学体験」を含みます。
5月1日(月)
日本絵手紙協会さん発行の雑誌『月刊絵手紙』の5月号が発行されました。「すべては「詩魂」ありてこそ 高村光太郎の書」という特集を組んで下さいました。
日本絵手紙協会さん発行の雑誌『月刊絵手紙』の5月号が発行されました。「すべては「詩魂」ありてこそ 高村光太郎の書」という特集を組んで下さいました。
同日、日本聖書協会さんから『聖書を読んだ30人 ~夏目漱石から山本五十六まで~』が刊行されました。「高村光太郎と聖書 美のうしろにあるものを表現しようとした詩人・彫刻家」を含みます。


5月3日(水)
墨田区のすみだトリフォニーホール大ホールにおいて、「やまとうたの血脈(けちみゃく)Ⅷ 抒情は詩人の武器であったか?~大正、昭和前期の詩による合唱曲展」が開催され、光太郎作詞、佐藤敏直作曲「猛獣篇」より「傷をなめる獅子」「苛察」が演奏されました。指揮・藤井宏樹氏、合唱・Ensemble PVDさん、ピアノ・浅井道子さんでした。


5月5日(金・祝)
二本松市の智恵子純愛通り記念碑前(智恵子の生家近く)集合・出発で、「好きです智恵子青空ウオーク」が開催されました。
5月7日(日)
千葉県松戸市の森のホール21さんで、東葛合唱団はるかぜさんの第13回演奏会が開催され、二代目コロムビア・ローズさんの「智恵子抄」(丘灯至夫作詞・戸塚三博作曲)が演奏されました。
千葉県松戸市の森のホール21さんで、東葛合唱団はるかぜさんの第13回演奏会が開催され、二代目コロムビア・ローズさんの「智恵子抄」(丘灯至夫作詞・戸塚三博作曲)が演奏されました。


5月10日(水) 〜16日(火)
杉並区のラピュタ阿佐ケ谷で、「芳醇:東宝文芸映画へのいざない」が開催され、昭和32年(1957)公開の東宝映画「智恵子抄」(原節子、山村聡主演)が上映されました。
5月11日(木)
NHKEテレさんの「にほんごであそぼ」で、光太郎詩「人に」を取り上げて下さいました。再放送は5月25日(木)でした。
NHKEテレさんの「にほんごであそぼ」で、光太郎詩「人に」を取り上げて下さいました。再放送は5月25日(木)でした。
5月13日(土)~28日(日)
この期間の土、日に、二本松市の智恵子生家奥座敷において、「高村智恵子 生誕祭 上川崎和紙で作ろう切り絵体験」が行われました。
この期間の土、日に、二本松市の智恵子生家奥座敷において、「高村智恵子 生誕祭 上川崎和紙で作ろう切り絵体験」が行われました。


5月13日(土)
京都コンサートホールさんにおいて、「鈴木憲夫の世界2~女声合唱の響宴」公演があり、光太郎作詞、鈴木憲夫氏作曲の「レモン哀歌」が演奏されました。
5月14日(日)
東京都調布市の文化会館たづくりさんで、「第121回 午後のティーサロン ~「映画の中の日本文学」(戦前昭和の文学)~ ~音楽&映画への語らい~」が開催され、昭和32年(1957)公開の東宝映画「智恵子抄」(原節子、山村聡主演)が上映されました。
東京都調布市の文化会館たづくりさんで、「第121回 午後のティーサロン ~「映画の中の日本文学」(戦前昭和の文学)~ ~音楽&映画への語らい~」が開催され、昭和32年(1957)公開の東宝映画「智恵子抄」(原節子、山村聡主演)が上映されました。
同日、神奈川県相模原市の相模女子大学さんでオープンキャンパスが開かれ、日本語日本文学科では【高村光太郎『レモン哀歌』を読み解く】の模擬授業が為されました。
5月15日(月)
花巻市の高村山荘前広場で、「第60回高村祭」が開催されました。記念講演は藤原冨男氏(元花巻市文化団体協議会会長) 演題 『思い出の光太郎先生』でした。
花巻市の高村山荘前広場で、「第60回高村祭」が開催されました。記念講演は藤原冨男氏(元花巻市文化団体協議会会長) 演題 『思い出の光太郎先生』でした。


5月16日(火)
光太郎に関わる数々の書籍を刊行して下さった、文治堂書店元社長の渡辺文治氏が亡くなりました。
光太郎に関わる数々の書籍を刊行して下さった、文治堂書店元社長の渡辺文治氏が亡くなりました。
5月17日(水)、21日(日)、27日(土)
福岡市映像図書館ホールシネラさんで、「特別企画 中村登監督特集 60年代松竹映画を代表する監督・中村登の特集」が行われ、昭和42年(1967)公開の松竹映画「智恵子抄」(岩下志麻、丹波哲郎主演)が上映されました。
福岡市映像図書館ホールシネラさんで、「特別企画 中村登監督特集 60年代松竹映画を代表する監督・中村登の特集」が行われ、昭和42年(1967)公開の松竹映画「智恵子抄」(岩下志麻、丹波哲郎主演)が上映されました。


5月27日(土)
愛知県豊橋市の豊橋市民文化会館ホールにおいて、第5回コーロ・フェリーチェ演奏会が開催され、光太郎作詞、鈴木憲夫氏作曲の「レモン哀歌」が演奏されました。


6月1日(木)
日本絵手紙協会さん発
行の雑誌『月刊絵手紙』の6月号が発行されました。この号から、「生(いのち)を削って生(いのち)を肥やす 高村光太郎のことば」という新連載(全1ページ)が始まりました。
日本絵手紙協会さん発

同日、『毎日新聞』さんの静岡版に静岡県袋井市の寺院「可睡斎(かすいさい)」さんの境内に再建された「活人剣の碑」の由来を伝える紙芝居の完成が報じられました。同碑は明治33年(1900)、光雲原型によって建立されたものでした。
6月10日(土)
筑摩書房さんから、ちくま文庫の一冊として和田博文氏編『猫の文学館Ⅰ 世界は今、猫のものになる』が刊行されました。光太郎詩「猫」を収めています。
6月10日~8月20日(日)
北海道立函館美術館さんで、「ニッポンの写実 そっくりの魔力」展が開催され、光雲木彫、「天鹿馴兎(てんろくくんと)」(明治28年=1895・個人蔵)、「砥草刈(とくさがり)」(大正3年=1914・大阪市立美術館蔵)、「西行法師」(制作年不明・清水三年坂美術館蔵)の3点も並びました。

6月11日(日)~6月20日(火)
袋井市さんの市役所2階・市民ギャラリーで、「YUKIKO」さんによる、可睡斎(かすいさい)さんの活人剣碑の紙芝居原画展が開催されました。
袋井市さんの市役所2階・市民ギャラリーで、「YUKIKO」さんによる、可睡斎(かすいさい)さんの活人剣碑の紙芝居原画展が開催されました。

6月12日(月)
文芸教育研究協議会会長・西郷竹彦氏が亡くなりました。黎明書房さんから平成5年(1993)刊行の『名詩の美学』他で、光太郎に触れて下さっていました。
文芸教育研究協議会会長・西郷竹彦氏が亡くなりました。黎明書房さんから平成5年(1993)刊行の『名詩の美学』他で、光太郎に触れて下さっていました。
6月17日(土)
山梨県韮崎市の韮崎市市民交流センターNICORI ニコリにおいて、「大人の為の朗読会・朗読のつどい」が開催され、「智恵子抄」も取り上げられました。
山梨県韮崎市の韮崎市市民交流センターNICORI ニコリにおいて、「大人の為の朗読会・朗読のつどい」が開催され、「智恵子抄」も取り上げられました。
6月22日(木)
昭和24年(1949)刊行の「宮沢賢治名作選」の編集に関わり、光太郎とも交流のあった吉田コトさんが亡くなりました。
昭和24年(1949)刊行の「宮沢賢治名作選」の編集に関わり、光太郎とも交流のあった吉田コトさんが亡くなりました。
6月24日(土)
仙台市のJazz Me Blues Nola(ジャズミーブルースノラ)さんで、「朗読とテルミンで綴る 智恵子抄」公演がありました。朗読・荒井真澄さん、テルミン・大西ようこさんでした。
仙台市のJazz Me Blues Nola(ジャズミーブルースノラ)さんで、「朗読とテルミンで綴る 智恵子抄」公演がありました。朗読・荒井真澄さん、テルミン・大西ようこさんでした。


6月28日(水)、29日(木)、7月12日(水)、13日(木)
NHKEテレさんの「にほんごであそぼ」で、光太郎詩「あどけない話」を取り上げて下さいました。
NHKEテレさんの「にほんごであそぼ」で、光太郎詩「あどけない話」を取り上げて下さいました。
6月30日(金)
BSジャパンさんで「武田鉄矢の昭和は輝いていた 昭和のロングセラー蚊取り線香&コカ・コーラ」が放映され、コーラを我が国で最も早く取り上げた詩とされる光太郎の「狂者の詩」(大正元年=1912)が取り上げられました。
BSジャパンさんで「武田鉄矢の昭和は輝いていた 昭和のロングセラー蚊取り線香&コカ・コーラ」が放映され、コーラを我が国で最も早く取り上げた詩とされる光太郎の「狂者の詩」(大正元年=1912)が取り上げられました。

同日、千代田区の東京国立近代美術館で、プレミアムフライデーの活用方法として美術館巡りなどを提案するPRイベントが開催され、光太郎のブロンズ「手」(大正7年=1918)が「登場」しました。ナビゲーター役は関ジャニ∞の横山裕さんと丸山隆平さんでした。


さらに同日、河出書房新社さんから中村圭子氏編『命みじかし恋せよ乙女 大正恋愛事件簿』が刊行されました。『青鞜』がらみで智恵子に触れられています。翌日から文京区の弥生美術館さんで始まった同名の企画展図録を兼ねています。
明日は7、8、9月をふり返ります。
【折々のことば・光太郎】
彫刻の本性は立体感にあり。しかも彫刻のいのちは詩魂にあり。
散文「彫刻十個條」より 大正15年(1926) 光太郎44歳
題名の通り、十ヶ条の条文と、四ヶ条めまでは詳しい解説が付いています。五ヶ条目以降は条文のみ。光太郎彫刻論の集大成的な文章ですので、十ヶ条すべてご紹介します。
「詩魂」とは、物事の本質を十分に見極め、さらに端的に表現する精神とでもいいましょうか、彫刻をはじめとするすべての光太郎芸術の根幹に流れている基調となるものです。