いただきもの等、ご紹介します。

まず、智恵子の故郷、福島県二本松で智恵子の顕彰活動をなさっている智恵子のまち夢くらぶさんの会報的な『智恵子講座2017文集』。

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基本、10月から今月にかけて行われていた「智恵子講座2017」に参加した方々の感想集的なものですが、それ以外の会の活動報告的な内容、それらが取り上げられた地方紙のコピーなども載っています。

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存じませんでしたが、『福島中央新報』さんには、今年の連翹忌を報じた記事も掲載されていました。

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東京でのイベントですが、東京で報じられず、福島の地方紙に載るというのも面白いものです。

夢くらぶさん、いろいろと地道な活動を続けられており、頭が下がります。


続いて、過日ご紹介したバリトン歌手・新井俊稀氏の、野村朗氏作曲「連作歌曲 智恵子抄」を含むCD。ネットで「買います」と注文したのですが、進呈されてしまいました。ありがたや。

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2枚組で、CD1が「新井俊稀 日本の抒情歌」、CD2が「連作歌曲 智恵子抄〜その愛と死と〜」。

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歌詞、ライナーノーツが載ったB5判20ページほどの冊子がついていました。

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これまでに、森山孝光氏・康子さんご夫妻の演奏で何度か拝聴しましたが、新井氏の歌唱、それからピアノは木下敦子さんという方で、また少し違った魅力が感じられました。


最後に、いただきものではありませんが、今月14日、『毎日新聞』さんの夕刊に、智恵子がその創刊号の表紙画を描いた『青鞜』がらみで大きく記事が載りましたので、ご紹介します。

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「明治150年 近代から現在を読む」という連載の一環のようで、今年文庫化された『『青鞜』の冒険 女が集まって雑誌をつくるということ』の著者、森まゆみさんのご執筆です。

長いので全文は引用しませんが、さわりだけ。

 明治末、女性による文芸雑誌として創刊された『青鞜(せいとう)』はユニークな足跡を残した。背景には女性をめぐるどのような状況があり、この雑誌はいかなるインパクトを世にもたらしたのか。近代日本の文化に詳しい森まゆみさんの論考を通し考える。
 
 「元始女性は太陽であった」という高らかな宣言で知られる雑誌『青鞜』は、1911(明治44)年の9月に創刊号を出した。それまでの女性雑誌は男性編集者による上からの啓蒙(けいもう)がほとんどだった。『女学雑誌』(1885年創刊)、『女学世界』(1901年)、『婦人画報』(05年)など、いずれも面白く意義もあったが、女性による、女性のための、女性の雑誌は『青鞜』が初めてだ。
 『青鞜』は創刊時の目標を「女性の潜める天才を発現するための文芸雑誌」と定めた。

 女性でも自由に好きなことをして良いのだ、内面の完成こそ大事なのだ、という訴えは、多くの女性の共感を呼び、最大時3000もの読者を得る。その中心に「元祖スピリチュアル」ともいうべき美しいらいてうがいた。

 そして、今も「元始女性は太陽であった」「山の動く日来る」は日本の女性運動の掲げた旗として、記憶されている。


さて、暮れも押し詰まって参りました。明日からは、このブログの年末恒例、今年一年をふり返る記事を掲載します。


【折々のことば・光太郎】

「彫刻的なるもの」は此の世のあらゆる要素に潜在する。又其はおのづから人の生活に基準を与へる。

散文「彫刻的なるもの」より 大正14年(1925) 光太郎43歳

こうした考えがさらに発展し、後の「美ならざるなし」という方向に行くのでしょう。