一昨日、花巻高村光太郎記念館さんでの「高村光太郎 書の世界」展を拝見した後、大沢温泉菊水館さんにて一泊いたしました。今年3度目でした。
翌朝は小雪が舞っていました。
軒先にはつらら。
光太郎も浸かった露天風呂。
NHKさんの朝のローカルニュースで、花巻市内の文化施設5館の共同開催「花巻市共同企画展 ぐるっと花巻再発見! ~イーハトーブの先人たち~」をバスで廻るツアーのニュースをやっていました。
6時台の放映は、予期しないまま始まってしまい、改めて7時台の放映をもう一度視聴。
朝食後、チェックアウト。レンタカーで花巻市博物館さんを目指しました。
こちらでは、やはり「花巻市共同企画展 ぐるっと花巻再発見! ~イーハトーブの先人たち~」の一環として、「及川全三と岩手のホームスパン」展が開催中です。
花巻の旧東和町出身で、この地に天然染色の羊毛織り、ホームスパンを根付かせた及川全三。光太郎とも交流がありました。その及川の歩みを作品や書簡、遺品などから追っていました。
及川は上京していた昭和の初めに、やはり光太郎と交流のあった柳宗悦の影響で、民芸運動、そしてホームスパンの魅力にとりつかれ、教職を辞してこの道へ進んだとのこと。本場イギリスでも途絶えていた技術を復活させるため、かなりの苦労があったようです。
図録は発行されていませんでしたが、『花巻市博物館だより』には、展示パネルの一部が転載されているようで、そちらをいただいて帰りました。
及川の作品、民芸運動の流れを汲むということで、素朴な中にも暖かみと気品があり、いいものでした。また、解説がなければ見落としてしまいそうなさまざまな工夫なども、解説パネルでよく理解できました。
しかし、残念ながら、光太郎との交流についてはほとんど触れられていませんでした。
そもそも及川がホームスパン制作を志したのは、柳に見せられたイギリスの染織家、エセル・メレのホームスパン作品がきっかけだそうで、そのメレの作品を光太郎が持っており、及川は旧太田村の山小屋でそれをたびたび見せてもらいました。その作品も高村光太郎記念館さんで所蔵しており、この機会に展示すればよかったのに、と感じました。また、盛岡てがみ館さんなどあちこちに及川の弟子にあたる福田ハレや戸来幸子に宛てた光太郎書簡も残っています(及川やホームスパンにふれています)し、過日もご紹介した光太郎愛用のホームスパンの服も、高村光太郎記念館さんで展示されています。
「及川全三と岩手のホームスパン」と銘打つなら、光太郎との関わりも外せない要素だと思うのですが、館同士の連携、情報共有などがうまくいっていないのか、また、改めて光太郎と及川全三に絞った展示を考えているからなのか、何ともいえません。同じようなことは、今夏同館で開催された企画展「没後50年多田等観~チベットに捧げた人生と西域への夢~」の際にも感じたのですが……。
ただ、今月9日に行われた関連行事、菊池直子氏(岩手県立大学盛岡短期大学部教授)による記念講演「ホームスパン作家・及川全三の足跡をたどって」では、光太郎についても触れられたそうで、それが救いですが……。
ところで、冒頭でご紹介した、参加5館を廻るバスツアー、来月も実施されます。また近くなりましたらご紹介いたします。
【折々のことば・光太郎】
たとひ自分の崇拝する人から其が傑作であると保證されてゐるとしても自分自身で其感動を得ない時に、其作品を無理に善いと見ようとするのはいけません。
散文「展覧会を見る人に」より 大正8年(1919) 光太郎37歳
そのとおりですね。世間には、「世間で人気の行列ができる展覧会だから見に行こう」という人もいるようですが。