テレビ放映情報です。 

日曜美術館「熱烈! 傑作ダンギ ロダン」

NHK Eテレ 2017年12月3日(日) 9時00分~9時45分  
      再放送 12月10日
(日)20時00分~20時45分

没後100年の今年、改めて注目される彫刻界の巨星ロダン。美しいものに対していつも直球勝負を挑んだ作家を愛してやまない3人が、その魅力を縦横無尽に語り尽くす!

集まったのは、俳優で演出家の白井晃さん。俳優の若村麻由美さん。学芸員の南美幸さんの3人。それぞれが愛する作品を紹介しつつ、その魅力をアピール。ロダンの情熱がぎっしり詰まった大作「地獄の門」。演劇のようにドラマチックなシーンを見せる「カレーの市民」。そしてエロスと生命力が同居する「ダナイード」についてクロストーク。そしてロダンを愛するがゆえの「…これはちょっと…」なトークも!?

司 会 井浦新 高橋美鈴
ゲスト 白井晃 若村麻由美 南美幸(静岡県立美術館学芸員)

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画像に使われているのは、静岡県立美術館さん。その名も「ロダン館」という棟があります。そちらの学芸員さんがゲスト出演されます。また、同館では企画展「彫刻を撮る:ロダン、ブランクーシの彫刻写真」が開催中です。

ゲストといえば、女優の若村麻由美さんは、カミーユ・クローデルを舞台で演じられたということで、過日NHKBSプレミアムさんで放映された「ザ・プロファイラー 夢と野望の人生 「彫刻に“生命”を刻んだ男~オーギュスト・ロダン」」に引き続いてのご出演です。

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若村さん主演の「ワルツ」は、静岡県立美術館さんの「地獄の門」の前でも上演されました。

「ザ・プロファイラー」では、荻原守衛や光太郎がロダンの影響を受けたことにも言及されましたが、今回もそういうお話が欲しいところです。


テレビといえば、過日ご紹介した「<BSフジサンデースペシャル>『絶景百名山2時間スペシャル 第66回 「安達太良山・西吾妻山 秋」』」。いったん、12月3日(日)の放映と発表されながら、その後、11/25(土)の深夜に放映と訂正され、それも訂正。結局、元の通り12月3日(日)だそうです。

この手の番組、再放送ならともかく、新作が深夜のオンエアというのもおかしいなとは思っていたのですが、訂正というより、どこかの段階で担当者がやらかした誤発表のようです。始末書ものでしょうね。

というわけで、改めて。 

<BSフジサンデースペシャル>『絶景百名山2時間スペシャル 第66回 「安達太良山・西吾妻山 秋」』

BSフジ 2017年12月3日(日) 18時00分~19時55分

秋、様々な色に染まった木々の葉が山肌を美しく彩る紅葉の季節。
今回は東北地方の二つの百名山「安達太良山」と「西吾妻山」を2時間SPでご紹介。

安達太良山は、詩人・高村光太郎の「智恵子抄」に登場する福島を代表する山の一つ。
標高1,700mの裾野に広がる紅葉は美しく、秋は特に人気の高い山。
山の案内人は、麓の岳温泉で和菓子屋を営みつつ、山のガイドをしている渡辺茂雄さん(44歳)
幼い頃から安達太良山を見て育ち、その魅力に引き込まれた渡辺さんがガイドをするのは安達太良山のみ。
「多くの人に安達太良山と、自分の生まれ育った岳温泉のすばらしさを知ってもらいたい」
そんな渡辺さんのガイドは、地元の人だからこそ知っている情報が満載だ。
さらに渡辺さんは、温泉の源泉を管理する「湯守」という仕事を冬季限定で行なっている。
安達太良山の麓にある岳温泉の湯は、安達太良山の中腹にある湯元から8キロもの距離を下ろす日本一長い引湯。
冬の間は雪が深い為、登山技術のあるガイドが湯元の管理をするのだそうだ。
安達太良山を知り尽くす地元ガイド一押しの絶景とは…

西吾妻山は、福島県と山形県の境界に位置する吾妻連峰の最高峰、標高2,035mの山。
連峰の山の中で唯一2,000mを超える山であるが、周りの山々がそれに近い高さの為、飛び抜けて主峰という感じはしない山。
日本百名山の著者・深田久弥も「つかみどころがない」と称するほど。
そんな山を愛してやまないというのが、今回の山の案内人。
西吾妻山の麓、天元台スキー場でペンションを営む山岳ガイドの近藤明さん(62歳)
ガイド歴は40年。8,000mを超えるシシャパンマに登頂した経験があり、
年間200日以上をガイドとしてこなす山のスペシャリスト。
そんな近藤さんにとって、一番好きな山が西吾妻山。
展望がまるでない山頂だが大好きだという。
理由を尋ねると、なるほど納得の答えが返ってきた。
その理由がまた、西吾妻山の魅力を良く表現できていることに驚かされる。
ベテランガイドが愛する西吾妻山の魅力を、絶景とともにお伝え致します。

ナレーター 小野寺昭

それぞれ、ぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

彫刻は何の欺瞞をも計らない。立体的のものを立体的に作ってゐる。又錯覚をも絵画ほど有機的には利用しない。せめて眼球の光を作るに却つて反対に之を刳りぬくといふ様な初歩な手品をする人がある位のものである。

散文「彫刻の面白味」より 明治43年(1910) 光太郎28歳

ただし、この時代にはまだ彫刻といえばロダンに代表される具象。抽象彫刻が出てくるのはもっと後のことです。

眼球を刳りぬくという技法は、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」でも使われました。それほど特別な意味はありません。