彫刻界では唯一といっていい、光太郎同年配の親友・碌山荻原守衛の個人美術館、信州安曇野の碌山美術館さんで来週開催される美術講座です。
美術講座 ストーブを囲んで 「荻原守衛と高村光太郎の交友」を語る
期 日 : 2017年12月2日(土)時 間 : 18:00~19:30
料 金 : 無料
明治末、日本の彫刻に新しい展開をもたらした荻原守衛。明治、大正、昭和と彫刻家の憧れの的であり続けた高村光太郎。高村光太郎は「この世で荻原守衛に遭った深い因縁に感謝している」と述べています。そんな二人の交友を振り返ります!
パネリスト : 小山弘明 (高村光太郎連翹忌運営委員会代表)
ナビゲーター : 武井敏 (碌山美術館学芸員)
というわけで、同館学芸員の武井敏氏と、当方による対談です。
屋根の中央に見える煙突は棟内にある大きな薪ストーブにつながっており、このストーブがグズベリーハウスの象徴的存在。そのため、毎年この時期に行われる講座に「ストーブを囲んで」という題名が付されています。現地ではもう既に初雪が観測されていますので、光太郎とは真逆に寒さに弱い当方、ストーブが無ければ活動不能に陥ります(笑)。
同館では昨年、「夏季特別企画展 高村光太郎没後60年・高村智恵子生誕130年記念 高村光太郎 彫刻と詩 展 彫刻のいのちは詩魂にあり」、今年は夏季企画展示「高村光太郎編訳『ロダンの言葉』展 編訳と高村光太郎」を開催して下さり、それぞれお手伝いさせていただきました。そうしたご縁で今回もお声がけ下さいまして、ありがたい限りです。
というわけで、ぜひ足をお運びください。
【折々のことば・光太郎】
生命の大河ながれてやまず、 一切の矛盾と逆と無駄と悪を容れて ごうごうと遠い時間の果つるところへいそぐ。 時間の果つるところ即ちねはん。 ねはんは無窮の奥にあり、 またここに在り、 生命の大河この世に二なく美しく、 一切の「物」ことごとく光る。
詩「生命の大河」より 昭和30年(1955) 光太郎73歳
昨日ご紹介した「お正月の不思議」とともに、光太郎最後の詩篇です。青年期から追い求め続けた「命(ラ・ヴィ)」、「美ならざるなし」「うつくしきものみつ」、そうした考え方の集大成といえるでしょう。
「ねはん」は「涅槃」。仏教でいうところの生死を超えた悟りの世界、さらには「極楽」とほぼ同義に使われる場合もあります。余命3ヶ月半の光太郎、既にその境地に至っていたようです。
それでもその最期まで書の展覧会開催に意欲を燃やし、亡くなる5日前まで散文の原稿を断続的に書き続けていました。
そしてその死の3日前には、その生涯の歩みを草野心平が編んだ『日本文学アルバム 高村光太郎』のゲラを校閲、「That's the endか」とつぶやいたそうです。
その終焉は昭和31年(1956)4月2日、午前3時45分。「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」を作り上げた、中野の貸しアトリエでのことでした。前日から東京は季節外れの大雪にすっぽり包まれ、終生、「冬」を愛した光太郎の最期を飾りました。