雑誌の新刊です。  

BRUTUS 2017/11/15号

2017年11月1日 マガジンハウス 定価630円+税

寒さが募ると、人は温かいお湯に浸かってまったり過ごす、シンプルかつ究極の癒し、温泉を目指します。リゾート型のリラグゼーションや浴感、眺望に建築まで、温泉に求めるのは百人百様。12のキーワード別に厳選した名湯紹介を皮切りに、あなたが今入りたい温泉がきっと見つかる熱いコンテンツ。さて、この冬はどんな温泉に浸かりましょうか?

目次002
 百人百湯アンケート。
   あなたにとっての「最高の温泉」は?
 HOT SPRINGS INDEX
 愛さずにはいられない!
   キーワード別・名湯の宿12選。
 いい湯、いい宿、まだまだあります。
 〈山形座 瀧波〉再生物語。
 わたしの温泉愛
 温泉街はこうして生まれ変わる。
   長門湯本温本温泉と星野リゾートの戦略。
 もっと温泉が楽しくなる1 7のトピック。
 温まるって、シアワセです。
 他


「わたしの温泉愛」中の、「5 昔ながらの自炊部で気ままにステイ。」で、当方もよくお世話になる花巻南温泉峡の大沢温泉さんが取り上げられています。温泉ソムリエの伊藤裕香さん、イラストレーターのmiccaさんによるレポートです。

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昭和20年(1945)からの花巻郊外太田村での蟄居生活の中で、光太郎が何度も訪れ、最長で連続10泊ほどもした温泉です。当時走っていた花巻電鉄が、そうした際の足でした。

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また、幼き日の宮沢賢治も、ここで父の政次郎の肝煎りで開かれていた仏教講習会のため、足を運んでいました。館内にはその折の集合写真なども展示されています。

そういうわけで、記事には光太郎と賢治の名が。ありがたや。

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他にも、光太郎が訪れた温泉がいくつか取り上げられています。同じ花巻南温泉峡の鉛温泉藤三旅館さん、青森で酸ヶ湯温泉さんと蔦温泉旅館さん、福島会津東山温泉は向瀧さん。

次号は15日発売ということで、現在、店頭に並んでいます。ぜひお買い求め下さい。


ついでというと何ですが、同じようなネタをもう1件。プレスリリース的な報道です。

楽天トラベル、2017年 湯治体験が人気の温泉宿ランキングを発表

旅行予約サービス「楽天トラベル」 ( https://travel.rakuten.co.jp/ )は、「2017年 湯治体験が人気の温泉宿ランキング」を発表しました。「湯治」のキーワードを含む宿泊プランについて、年間の宿泊人泊数(=宿泊人数×泊数)を集計した結果、1位は青森県の「酸ヶ湯温泉旅館」でした。トップ5を、青森・群馬・岩手の3県の宿泊施設が占める結果となりました。

2017年 湯治体験が人気の温泉宿ランキング003
 1位 青森県 酸ヶ湯温泉旅館
 2位 群馬県 四万温泉 積善館本館
 3位 岩手県 大沢温泉 自炊部
 4位 岩手県 岩手 花巻温泉郷 鉛温泉 藤三旅館
 5位 群馬県 草津温泉 お宿 木の葉(このは)

(略)

3位の岩手県「大沢温泉 自炊部」は、宮沢賢治や高村光太郎ら文人に愛された大沢温泉にあり、湯治を目的に長期滞在する人のための宿泊施設として、自炊ができる共同の炊事場やコインランドリーなどを備えています。豊沢川に面し、四季折々の風景が楽しめる混浴露天風呂「大沢の湯」をはじめ、女性用露天風呂など計5つの浴場で湯めぐりができます。泉質はアルカリ性単純温泉で、神経痛、筋肉痛、慢性消化器病などに効くといわれています。


「自炊」という特殊な形態限定でのランキングですが、やはり酸ヶ湯さん、大沢さん、鉛さんと、光太郎の利用した宿がベスト5中に3件ランクインしています。また、四万温泉 積善館本館さんも、ネット上では「与謝野晶子や高村光太郎・太宰治といった文人も訪れていたとのことです。」と紹介されています。ただ、探し方が悪いのかも知れませんが、当方手持ちの資料では、光太郎がそちらに泊まったことを示す資料が見あたらず、情報をお持ちの方はご教示いただければと存じます。

そろそろ初冬の気配、というか、暦の上では立冬を過ぎました。温泉が恋しくなってきましたね。当方、今年中にもう1回くらい、大沢さんか鉛さんに泊めていただくかも知れません。その際にはまたレポートいたします。


【折々のことば・光太郎】

智恵子の所在はa次元。 a次元こそ絶対現実。 岩手の山に智恵子と遊ぶ 夢幻(ゆめまぼろし)の生の真実。

詩「智恵子と遊ぶ」より 昭和26年(1951) 光太郎69歳

a次元」は、我々の生きて存在する物理次元を超えた精神世界、抽象次元を表す用語です。カルト宗教の信徒のように、その存在を確信していたわけではないのでしょうが、光太郎にとって、感覚的には、亡き智恵子の存在するa次元と、自らの存在する花巻郊外旧太田村の山林の間の垣根は低かったようです。

この年は、前年末からの帯状疱疹に悩み、結核性の肋間神経痛も悪化。思い切って、農作業はほとんど放棄しました。毎年恒例だった、花巻町松庵寺などでの光雲、智恵子の法要も中止しています。光太郎にとって、自らの「死」が現実味を帯びてきた年といえるでしょう。ただし、翌年には体調がかなり恢復しますが。