先月末、青森県十和田市で講演をして参りました。題して「、「知っておきたい! 乙女の像ものがたり~秘められた光太郎の思い~」。その際のレポートがこちら

主催の三本木小学校地区安全・安心協働活動協議会代表の佐藤様が、地方紙『デーリー東北』さんに載った記事を郵送してくださいました。

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恐縮です。

前後して、青森県上北地域県民局さんからは、DVDが送られてきました。以前に制作に協力した観光PR用のもので、「~水と森が生命(いのち)を紡ぐ(つむぐ)~ 「十和田湖「深」発見(「しん」はっけん)の旅」 」。3月くらいには完成していたようですが、どうも手違いがあったようで、こちらに届いておりませんでした。

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「監修協力」ということで、ジャケットに名前を載せていただいております。

早速、拝見。

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チャプターが7つに分かれており、当方の監修協力は最後から二つ目の「乙女の像ストーリー ~乙女の像と人々の想い~」と題された部分です。前半部分を執筆し、一昨年、十和田湖奥入瀬観光ボランティアの会さん編集で刊行された『十和田湖乙女の像のものがたり』という書籍の内容を元に作られています。

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光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の制作経緯などを、当時の画像や動画を交えて紹介しています。

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元々、十和田湖周辺の国立公園指定15周年を記念する事業として、指定の礎を築いた作家・大町桂月、元知事・武田千代三郎、元村長・小笠原耕一の三人を顕彰するモニュメントとして、太宰治の実兄・津島文治知事が光太郎に依頼しました。

間に入ったのが、佐藤春夫。さらに草野心平らが光太郎を助け、完成にこぎつけました。

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並行して光太郎の生涯もダイジェストで紹介。

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ブリヂストン美術館さん制作の美術映画「高村光太郎」(昭和29年=1954)や、「乙女の像」除幕式の記録フィルムからの動画も。

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よくまとまっていました。


また、前半の「歴史と文化 ~History&Culture」の部分でも、「乙女の像」の紹介が。やはり昔の動画が使われています。

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それ以外の部分でも、ところどころに「乙女の像」。

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チャプター5の「アクセス~Access~」までは、一括してyoutubeにアップされています。


「歴史と文化 ~History&Culture」の「乙女の像」紹介は15分25秒くらいから。

「乙女の像ストーリー ~乙女の像と人々の想い~」の部分は、残念ながらyoutubeにはアップされていないようです。

DVDとしては非売品のようですが、関係機関等には配布されていると思われます。広く活用されてほしいものです。


ついでと言っては何ですが、やはり先月末にオンエアされた、BS朝日さんの「暦を歩く #140「乙女の像」(青森県十和田湖)」。5分間番組で、「私たちが愛唱してきた「歌」を通して、日本の風景を見つめ直す番組です。それぞれの歌に息づく日本人の原風景を、一篇の詩のような美しい映像でお届けします。」というコンセプトだそうです。

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講演の翌日、十和田湖に行った際、十和田神社さんの鳥居近くのもりた観光物産さんの女将さんに、ロケがあったという話は聞いておりました。ところが、オンエアを見てびっくり。なんと、女将さんがご出演。そういう話は聞いていませんでした。

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この番組は再放送がないようで残念ですが、美しい映像や、そこに息づく人々の想いなど、残すべきもののように思われます。他の回と一括してDVD化などされないものでしょうか。


【折々のことば・光太郎】

ヤマト民族よ深く立て。 地盤の岩盤を自分の足でふんで立て。

詩「岩盤に深く立て」より 昭和26年(1951) 光太郎69歳

サンフランシスコ講和条約の発効による、連合国による占領の終結が背景にあります。

それから66年経ちました。しかし、宗主国の親分が来れば、ポチが尻尾を振ってお出迎えする状態。結局はいまだに「ヤマト民族」は「自分の足で」「立て」ていないようですね。