テレビ放映情報です。

ザ・プロファイラー 夢と野望の人生 「彫刻に“生命”を刻んだ男~オーギュスト・ロダン~」(再放送)

NHKBSプレミアム 2017年11月8日(水)  18時00分~19時00分

岡田准一がMCを務める歴史エンターテインメント。「考える人」「地獄の門」で知られ、今年、没後100年を迎える彫刻家ロダン。30歳をすぎても、貧乏生活から抜け出すことができず、苦悩に満ちた日々を送った。こだわったのは「男の裸」。ところが、名声を得た後、1人の女性との関係をきっかけに、女性像や愛をテーマとした作品を発表するように。だが、その女性との関係は悲劇的な結末に。人間味あふれる人生に迫る。

司 会 岡田准一
ゲスト 鹿島茂,若村麻由美,篠原勝之

2日にオンエアされた本放送を拝見しました。

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光太郎が終生敬愛した彫刻家ロダン。その生涯を、代表作品や、周囲の人々との関わりから追ったものです。

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今月11日に封切られる映画「ロダン カミーユと永遠のアトリエ」を紹介、弟子であり愛人でもあったカミーユ・クローデル、そして内縁の妻(最晩年に入籍)ローズ・ブーレとの三角関係。

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光太郎にも言及されました。

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連翹忌にも何度かご参加下さっている、日本大学芸術学部の髙橋幸次先生もご出演。

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なかなかのクオリティーでした。


同じく、光太郎と縁の深かった美術家ということで。

美の巨人たち “夭折の天才”村山槐多と関根正二…自画像に刻んだ鮮烈な人生

テレビ東京  2017年11月11日(土) 22時00分~22時30分 
BSジャパン  2017年11月29日(水) 23時00分~23時30分

燃えるようなガランスと染み入るようなバーミリオン。二つの赤に託された思いとは?二人の夭折の天才が残した自画像の変遷をたどり、その20年あまりの鮮烈な人生に迫る。

大正時代に彗星のごとく現れた画家・村山槐多と関根正二。98年前の1919年に二人はその生涯を閉じました。槐多22歳、正二20歳という若さで…。村山槐多は燃えるようなガランス、関根正二は染み入るようなバーミリオンを好みました。二つの赤に託された思いとはなんだったのか?夭折の天才が目指したものは何だったのか?自画像に秘められた真実に迫ります。

ナレーター 小林薫  神田沙也加

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今回取り上げられる二人のうち、村山槐多は、光太郎より13歳年下の明治29年(1896)生まれ。宮沢賢治と同年です。大正8年(1919)に、数え24歳で結核のため夭折。その晩年、光太郎と交流があり、光太郎はそのままずばり「村山槐多」(昭和10年=1935)という詩も書いています。

  村山槐多

槐多(くわいた)は下駄でがたがた上つて来た。
又がたがた下駄をぬぐと、
今度はまつ赤な裸足(はだし)で上つて来た。
風袋(かざぶくろ)のやうな大きな懐からくしやくしやの紙を出した。
黒チョオクの「令嬢と乞食」。

いつでも一ぱい汗をかいてゐる肉塊槐多。
五臓六腑に脳細胞を遍在させた槐多。
強くて悲しい火だるま槐多。
無限に渇したインポテンツ。

「何処にも画かきが居ないぢやないですか、画かきが。」
「居るよ。」
「僕は眼がつぶれたら自殺します。」

眼がつぶれなかつた画かきの槐多よ。
自然と人間の饒多の中で野たれ死にした若者槐多よ、槐多よ。

画家だった村山ですが、詩も書き、光太郎に見て貰ったりもしていました。それが「くしやくしやの紙」で、歿した翌年、大正9年(1920)には、『槐多の歌へる』の題で詩集が出版されています。光太郎は推薦文も寄せています。

そのあたり、番組で紹介されるといいのですが……。


もう一件。

日曜美術館「皇室の秘宝~奇跡の美術プロジェクト~」

NHKEテレ 2017年11月12日(日)  9時00分~9時45分
      再放送 11月19日(日)  20時00分~20時45分

昭和天皇のご結婚の際に献上された美術品が皇居から初めて持ち出され公開された。一流の工芸家たちが5年の歳月をかけた奇跡のプロジェクトの作品を紹介する。

東京芸術大学の美術館で開催されている展覧会。金のまき絵やらでんが一面に施された飾り棚。天皇と皇后用に1対で献上された豪華な作品である。また48人の工芸家が技法を競った作品が装飾されたびょうぶ。金工、木工、漆、陶芸など日本の伝統工芸がここに集約されている。実はこのプロジェクトには中止に追い込まれそうな危機があった。皇室の秘宝とともにその秘められた物語を紹介する。

出演 井浦新 高橋美鈴 古田亮(東京藝術大学准教授)

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こちらには光太郎の父・高村光雲作の「松樹鷹置物」(大正13年=1924)が展示されており、ちょっとでも紹介してほしいものです。


それぞれ、ぜひご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

不発か時限か、 ぶきみなものが そこらあたりにころがつて 太平楽をゆるさない。 人の命のやりとりが 今も近くでたけなはだ。

詩「遠い地平」より 昭和25年(1950) 光太郎68歳

翌年元日の『新岩手日報』のために書かれた詩の一節です。

朝鮮戦争を念頭に置いて書かれていますが、現代の日本にもあてはまりますね。ちょうど、宗主国から「ぶきみな」人物が来日している折ですし。ポチはシッポを振るのに余念がないようですが(笑)。