昨日に引き続き、少し前に刊行された書籍のご紹介をいたします。
本日は、宮沢賢治と光太郎の関わり、的な。
宮沢賢治 出会いの宇宙――賢治が出会い、心を通わせた16人――
2017年8月27日 佐藤竜一著 コールサック社 定価1,500円+税
多くの人びととの出会いを糧に、賢治は自らの世界観を築き上げていったにちがいありません。そのことが死後実を結び、世界的な規模で読まれるいしずえとなったのではないか。そう感じている私は、本書で賢治が影響を受けたと思われる16人を登場させました。本書を読み、「宮沢賢治」がどのようにして形成されたのか。感じ取っていただけたなら、とてもうれしいです。(「はじめに」より)
目次
はじめに
Ⅰ 石川啄木 文学への助走 ヘンリー・タッピング 英語への窓 葛飾北斎 浮世絵趣味
はじめに
Ⅰ 石川啄木 文学への助走 ヘンリー・タッピング 英語への窓 葛飾北斎 浮世絵趣味
鈴木東民 作家願望 藤原嘉藤治 ピアノを弾く詩人
鳥羽源蔵 トバスキー、ゲンゾスキー
Ⅱ 草野心平 才能の発見者 高村光太郎 コスモスの所持者
森荘已池 「店頭」での出会い
鳥羽源蔵 トバスキー、ゲンゾスキー
Ⅱ 草野心平 才能の発見者 高村光太郎 コスモスの所持者
森荘已池 「店頭」での出会い
黄瀛 コスモポリタン 鈴木東蔵 「石っこ」同志
Ⅲ 新渡戸稲造 東京志向 田鎖綱紀 日本語速記術の創始者
Ⅲ 新渡戸稲造 東京志向 田鎖綱紀 日本語速記術の創始者
グスタフ・ラムステット フィンランド初代駐日公使
佐々木喜善 民俗学とエスペラント レフ・トルストイ ベジタリアン
佐々木喜善 民俗学とエスペラント レフ・トルストイ ベジタリアン
宮沢賢治略年譜 主要参考文献
おわりに 著者略歴
おわりに 著者略歴
宮沢賢治学会理事であられる佐藤竜一氏の新著です。氏の御著書のうち、『宮沢賢治の詩友・黄瀛の生涯―日本と中国 二つの祖国を生きて』は以前にもご紹介させていただきました。
まさしく題名の通り、賢治とさまざまな面から交流があったり、会ったことはないものの影響を受けたりした16人の人物を取り上げています。
光太郎の項、特に目新しいことが書かれているわけではありませんが、光太郎とも交流のあった人物――啄木、藤原嘉藤治、心平、森荘已池、黄瀛、佐々木喜善――も取り上げられており、それらの人物の項にも光太郎の名が現れています。
もう一冊。こちらは小説です。
銀河鉄道の父
2017年9月12日 門井慶喜著 講談社 定価1,600円+税
明治29年(1896年)、岩手県花巻に生まれた宮沢賢治は、昭和8年(1933年)に亡くなるまで、主に東京と花巻を行き来しながら多数の詩や童話を創作した。
賢治の生家は祖父の代から富裕な質屋であり、長男である彼は本来なら家を継ぐ立場だが、賢治は学問の道を進み、後には教師や技師として地元に貢献しながら、創作に情熱を注ぎ続けた。
地元の名士であり、熱心な浄土真宗信者でもあった賢治の父・政次郎は、このユニークな息子をいかに育て上げたのか。
父の信念とは異なる信仰への目覚めや最愛の妹トシとの死別など、決して長くはないが紆余曲折に満ちた宮沢賢治の生涯を、父・政次郎の視点から描く、気鋭作家の意欲作。
賢治の生家は祖父の代から富裕な質屋であり、長男である彼は本来なら家を継ぐ立場だが、賢治は学問の道を進み、後には教師や技師として地元に貢献しながら、創作に情熱を注ぎ続けた。
地元の名士であり、熱心な浄土真宗信者でもあった賢治の父・政次郎は、このユニークな息子をいかに育て上げたのか。
父の信念とは異なる信仰への目覚めや最愛の妹トシとの死別など、決して長くはないが紆余曲折に満ちた宮沢賢治の生涯を、父・政次郎の視点から描く、気鋭作家の意欲作。
目次
1 父でありすぎる 2 石っこ賢さん 3 チッケさん 4 店番 5 文章論 6 人造宝石 7 あめゆじゅ 8 春と修羅 9 オキシフル 10 銀河鉄道の父
元は『小説現代』誌上に、昨年から今年にかけて連載されたものの加筆訂正版です。
主人公は宮沢政次郎。賢治の父にして、昭和20年(1945)、空襲で東京を焼け出された光太郎を花巻の自宅に疎開させてくれた人物です。ただ、全編賢治に対する政次郎の行動が描かれ、賢治と関係ない部分での政次郎はほとんど割愛されています。といって、政次郎視点で賢治の生涯を浮き彫りにする、というのが主眼でもなく、あくまで描かれているのは、父としての政次郎の内面です。
時間軸としては、賢治出生の明治29年(1896)から、賢治歿後2年が経った昭和10年(1935)まで。光太郎は直接は登場せず、賢治が生前唯一の詩集『春と修羅』を光太郎にも贈った件、光太郎や心平、横光利一らが『宮沢賢治全集』に関わったという話が紹介されているのみです。
それでも、後に光太郎を花巻に呼び寄せる政次郎の心意気、的な部分は、こういう人物ならさもありなん、と思わせる流れで描写されていますし、やはり光太郎と関わった賢治の弟妹も登場します。
ただ、残念なのは、当方、それほど賢治や政次郎に詳しくないので、劇中のどこまでが事実なのかよく分からない点。晩年に賢治が勤務した東北採石工場のことなどは一切出てこず、どうなっているのかと疑問に思いました。このあたり、コアな賢治ファンの方にお伺いしたいものです。
できれば続編を期待したいところです。光太郎が碑文を揮毫した昭和11年(1936)の「雨ニモマケズ」詩碑建立、昭和20年(1945)の光太郎花巻疎開、同じ年、終戦間際の花巻空襲で自宅が焼けたこと、その後の郊外太田村に移った光太郎との関わり、そして光太郎が歿した翌年の昭和32年(1957)に数え83歳で亡くなるまで……「光太郎サポーター」としての政次郎。同じく光太郎を色々と助けた総合花巻病院長・佐藤鷹房、草野心平との関わり等々。無理でしょうかね……。
というわけで、2冊とも好著です。ぜひお買い求めを。
【折々のことば・光太郎】
美ならざるなき国情なくして この国は成立しない。 科学と美との生活なくして この国は滅びる。
詩「明瞭に見よ」より 昭和25年(1950) 光太郎68歳
明治大正昭和、激動の時代に翻弄され、時に道を誤りつつも反省と軌道修正を繰り返し、まがりなりにも人々の尊敬を集める晩年を迎えた光太郎の言ならではの重みがありますね。空虚な「美しい国」ナントカとはちがって、です(笑)。