地方紙『福島民友』さんに昨日掲載された一面コラムです。

編集日記 中原中也の思い

 「汚れつちまつた悲しみに今日も小雪の降りかかる...」。中原中也の詩集「山羊の歌」に収録された代表的な作品だ。30年の短い生涯だった中也だが、その叙情あふれる描写は、日本の近代詩の歴史に大きな足跡を残した
 ▼「山羊の歌」は中也が生前に刊行した唯一の詩集で、装丁は高村光太郎が担当した。二人の仲介をしたのはいわき市出身の詩人、草野心平だったという。刊行したのはわずか200冊だが、そのうちの1冊は郡山市で少年期を過ごした作家の久米正雄に贈られている
 ▼本県ゆかりの文学者たちと深いつながりがある中也はことし生誕110年、没後80年を迎えた。その節目に合わせて郡山市のこおりやま文学の森資料館で中也の生涯をたどる企画展が開かれている
 ▼会場には自筆の原稿や日記のほか本人が着用していた丹前も展示されている。「僕の運勢は晩年はいいようですよ」と記された手紙は、病で亡くなる約1カ月前に母親にあてたものだ。字をたどりながら詩人の胸中に思いをはせた
 ▼福島市の詩人で、中原中也賞を受賞した和合亮一さんも中也の作品に影響を受けたという。中也のほとばしるような情熱が込められた詩は今も、読む者を魅了し続けている。


記事にあるとおり、中也の第一詩集「山羊の歌000」(昭和9年=1934)は、光太郎の装幀です。3年前に、秀明大学さんの学祭で、中也の署名本数冊、拝見してきました。

以下、光太郎の回想から。

 中原中也君の思ひがけない夭折を実になごり惜しく思ふ。私としては又たのもしい知己の一人を失つたわけだ。中原君とは生前数へる程しか会つてゐず、その多くはあわただしい酒席の間であつてしみじみ二人で話し交した事もなかつたが、その談笑のうちにも不思議に心は触れ合つた。中原君が突然「山羊の歌」の装幀をしてくれと申入れて来た時も、何だか約束事のやうな感じがして安心して引きうけた。(「夭折を惜しむ――中原中也のこと――」 昭和14年=1939 『歴程』第6号)

そして、中也の詩を評して曰く、

中原君の詩は所謂抒情詩の域を超えた抒情詩といふべきで、それは愬へたり、うたつたりする段階から遙に超脱して、心や物がそのまま声を発するものであつた。インキ壺を書くのでなくて、インキ壺が書くのであつた。むしろインキ壺がただ在るのであつた。その在り方が彼の抒情詩となつた。詩に於ける彼の領地は人の思ふよりも新しい。うまいやうな、まづいやうな、まづいやうなうまいやうなあの技巧は比類が無い。言葉は平明であるが、表現せられたものは奥深く薄気味わるい程混沌たるものが遠くにもやもやと隠れてゐる。殊に近く発表せられた作には何げない言葉そのものすら沈痛むざんの屈折光に射ぬかれてゐた。ラムボオをむやみに訳してゐるのを変に思つてゐたが、考へると彼にはあれを訳さずには居られない要因があつたのだ。(同)

そこからさらに、中也の人となり。

ラムボオの訳書を贈られて間もなく出しぬけに訃報をうけとつて私は茫然とした。所謂大死一番のところを彼はほんとに死んでしまつた。死んだものは為方ないが、此の難道をもう一度突破せしめたかつた。彼の根づよい、もつと大きな、真新しい日本的性格の詩がたくさん生れたに違ひないのだ。彼は又炯眼の士で、あの大きな眼で相手がどんな程度の人間かをよく見抜いた。相調子や身振りには中々ごまかされなかつた。それでゐて偏狭でもなかつた。飲むと相手にうるさ型だつたが、いよいよといふ処ではいつも或る節度を辨へてゐた。書いてゐると、あの酔つぱらつた浪花節が又ききたくなつて来て我ながらあはれな気がする。(同)

結局、全文を引いてしまいました。まさに追悼文のお手本のような、それでいて通り一遍、ありきたりのものではなく、深い哀悼の意が伝わってきます。


記事にある郡山での企画展はこちら。

特別企画展 中原中也 祈りの詩

期 日 : 2017年10月7日(土)~11月26日(日)
会 場 : 郡山文学資料館 福島県郡山市豊田町3-5
時 間 : 午前10時~午後5時
料 金 : 一般 200円(150円) 高校・大学生等 100円(70円)  ( )内団体料金
          中学生以下・65歳以上・障害者手帳をお持ちの方は無料
休館日 : 毎週月曜日(祝日の場合は翌日)

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 わが国の近代詩上において大きな足跡を残した、夭逝の詩人・中原中也。明治40年に山口に生まれ、昭和12年に30歳の短い生涯を閉じるまで珠玉の詩篇を現在に残す。その詩は、今なお多くの人々の心を魅了し続けて止まない。
 東日本大震災の際、「祈る」ことは大きな比重を占めた。「祈り」をテーマとする中也の詩は、私たちの胸に真っ直ぐ届き、心の奥底に響く魅力をもっている。本展では「祈りの詩」とともに、中也の短い生涯を紹介する。
 関連催しとして、中原中也記念館館長・中原豊氏の講演会を行うほか、澤正宏氏(福島大学名誉教授)・庄司達也氏(横浜市立大学教授)の講座を実施する。

関連行事

○文学講演会 「生誕110年・中原中也の可能性」
 中原 豊(中原中也記念館館長) 平成29年10月29日(日)午後1時30分から午後3時
 郡山市民文化センター 集会室 先着300名 無料 10月4日(水)より整理券を配布
  (配布場所:文学資料館・文化センター・市政情報センター)

○中也・現実の向こう側へ
 澤正宏(福島大学名誉教授)/11月4日(土)13:30~15:30/40名/10月4日(水)より/ミューカルがくと館(小ホール)

○蓄音機とSPレコードで聴く中原中也が愛でた音楽たち
 庄司達也(横浜市立大学教授)/11月16日(木)13:30~15:30/40名/10月17日(火)より/ミューカルがくと館(小ホール)
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お近くの方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

智恵子は死んでよみがへり、 わたくしの肉に宿つてここに生き、 かくの如き山川草木にまみれてよろこぶ。

連作詩「智恵子抄その後」中の「メトロポオル」より
昭和24年(1949) 光太郎67歳

「メトロポオル」は「大都市」「中心都市」などの意の仏語「Métropole」。英語では「メトロポリス」ですね。

岩手辺境の寒村に蟄居生活を送っていても、、そこに亡き智恵子がいると思えば、自分にとっては「メトロポオル」だというのです。

右は詩の終末部分の色紙揮毫です。