昨日、またしても智恵子の故郷・福島二本松に行っておりました。この2ヶ月で4度目、今月に入っても3度目です。
昨日は、市内亀谷の二本松市コンサートホールで開催された「震災復興応援 智恵子抄とともに~野村朗作品リサイタル~」を拝聴して参りました。
名古屋ご在住の作曲家で、光太郎詩歌にオリジナルの曲を付けて発表されている野村朗氏、連翹忌ご常連です。そういうわけで、当会も後援として名を連ねさせていただきました。
作曲のきっかけとなった一つが、東日本大震災だそうで、原発事故後、福島の皆さんがどんな思いで「ほんとの空」を見つめてらっしゃるのか、と、そういう思いがおありだったとのこと。そして、「いつか智恵子の故郷二本松で演奏会を開きたい」という願いとなり、今回のコンサートが実現しました。
演奏は、まず初演の時から演奏に当たられている、森山孝光氏(Br)、康子さん(Pf)ご夫妻。昨年の第60回連翹忌でも演奏をお願いいたしました。当方、名古屋や東京での演奏会に何度か足を運びましたので、すっかり顔なじみとなりました。
画像はリハーサルの様子から。
もう一組、星由佳子さん(Mez)、倉本洋子さん(Pf)。
星さんは南会津のご出身だそうで、ご両親や関係の方々が多数ご来場下さっていました。また、驚いたことにやはり連翹忌、そして女川光太郎祭ご常連のオペラ歌手・本宮寛子さんに師事されたとのことでした。
プログラム前半は、三好達治、北原白秋の詩に曲を付けた歌曲や、「発表を前提とせず書きためた」というピアノ曲、野村氏ご自身の作詞による歌曲。
後半が「智恵子抄」系でした。
まず、歌曲「智恵子抄巻末の短歌六首」より抜粋で3曲。昭和9年(1934)、九十九里浜で療養生活を送っていた智恵子を詠んだ「智恵子、尾長のともがらとなる」。思い出深い駒込林町のアトリエでの「智恵子の息吹みちてのこり…」「ここに住みにき」。演奏は森山夫妻でした。
続いて、星さん、倉本さんにバトンタッチし、「樹下の二人」。この演奏会のために書き下ろされた、本邦初演だそうです。そういうわけで、当方もこちらは初めて聴きましたが、力作でした。前後の曲が、やはりどうしても悲劇的な要素を持たせた作であるのに対し、これは光太郎智恵子双方が心身共に比較的健康で、幸福だったころの詩を題材としており、徹頭徹尾、明るく伸びやかな曲調でした。星さんの張りのある澄んだ歌声が、安達太良山や阿武隈川、二本松の広々としたパノラマの地理と、光太郎智恵子の愛の世界を存分に表現していました。
最後に、再び森山夫妻で連作歌曲「智恵子抄」。「千鳥と遊ぶ智恵子」「あどけない話」「レモン哀歌」、そして時間の経過を表すというピアノソロの「間奏曲」、終末は戦後の花巻郊外太田村山口での「案内」。ドラマチックな構成と、ご夫妻の力強く、かつ繊細な表現に、観客の皆さんも魅了されていました。
観客、といえば、このホール、キャパは206席のこぢんまりとしたところで、それでも「お客さん入るのかな」と心配しておりましたが、案に相違して、超満席でした。共催に入った智恵子のまち夢くらぶさん、後援の智恵子の里レモン会さんなどの宣伝が功を奏したようでした。
花巻郊外旧太田村で、生前の光太郎をご存じの浅沼隆さん、いわき市立草野心平記念文学館の小野浩氏、太平洋美術会・高村光太郎研究会の坂本富江さん、テルミン奏者の大西ようこさん(お隣に座らせていただきました)、そして二本松観光大使にして女優の一色采子さんなど、連翹忌ご常連の方々もいらしていました。
終演後に花束贈呈。
ホワイエで。
野村氏の感心させられるところは、一回やって終わり、でなく継続して取り組まれているところ。氏の「智恵子抄」系が曲目に入った演奏会、今年はドイツでも披露されましたし、今後も続きます。また近くなりましたらご紹介いたします。
【折々のことば・光太郎】
山の少女は山を恋ふ。
詩「山の少女」より 昭和24年(1949) 光太郎67歳
詩「山の少女」より 昭和24年(1949) 光太郎67歳
現題は「鎌を持つ少女」。花巻郊外旧太田村の山小屋近くに住み、農作業にいそしんだり、栗やキノコ、アケビややまなしなどを採る「りすのやう」な少女を題材にしています。
モデルは、高橋愛子さんという説が有力です。上記の浅沼隆さん同様、生前の光太郎の語り部としてご活躍中。
画像は昨年放映された、テレビ岩手さんの情報番組「5きげんテレビ」から。
浅沼さんもご出演なさっていました。
光太郎、もしかすると愛子さんの姿に、終生安達太良山を恋い続けた智恵子の姿を重ね合わせていたかもしれません。