手前味噌になりまして恐縮ですが、当方が講師を務めさせていただきます講演会が、青森十和田市で開催されます。 

三本木小地区安全・安心協働活動協議会講演会「知っておきたい! 乙女の像ものがたり~秘められた光太郎の思い~」

期   日 : 2017年10月21日(土)
会   場 : 十和田市立東公民館 十和田市大字三本木里ノ沢1-240
時   間 : 18:00~20:30 
料   金 : 無料 申し込み不要
講   師 : 高村光太郎連翹忌運営委員会代表 小山弘明
問い合わせ : 三本木小地区安全・安心協働活動協議会・佐藤☎ 090-4552-2375

昭和28年10月21日は、乙女の像の誕生日。今年で64歳になります。乙女の像は、国立公園指定15周年記念事業として、十和田開発に功績のあった三氏を顕彰するために建てられました。なぜ『智恵子抄』で知られる高村光太郎が制作することになったのか、なぜ2体が向き合っているのか、光太郎のどんな思いが込められているのか…etc。十和田湖のシンボルに秘められた歴史と浪漫を紐解きます。

イメージ 1

今月号の『広報とわだ』さんに紹介が載りました。

イメージ 2

途中で休憩を挟み、100分ほど。前半は、光太郎の生涯をダイジェストで、後半は「乙女の像」について詳しく、と考えております。一昨年、十和田湖奥入瀬観光ボランティアの会さん編集による『十和田湖乙女の像のものがたり』という書籍が刊行され、前半部分を執筆し、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」についてがっつり調べましたので、その成果です。プロジェクタで画像等を投影しながら、また、光太郎の肉声も流す予定です。

お近くの方、ぜひどうぞ。


十和田湖、といえば、昨夜というか今日未明、地上波TBSテレビさんで放映された「タビフク。#63十和田湖・奥入瀬」。存じませんでしたが、この番組は2週間でワンセットとなっており、来週12日(木)のやはり未明に後編が放映されます。

イメージ 3

出演は、NHKさんの朝ドラ「ひよっこ」に出演されていた小島藤子さんと、やはり女優の宮崎香蓮さん。

イメージ 4  イメージ 5

前編は、十和田市現代美術館さん、南部裂織の里さん、そして十和田プリンスホテルさんでした。

イメージ 6  イメージ 7

イメージ 8  イメージ 9

来週の後編では、十和田湖、奥入瀬渓流だそうです。

イメージ 10  イメージ 11

タビフク。#64「十和田湖・奥入瀬 後編」小島藤子&宮崎香蓮

地上波TBS 2017年10月11日(水) 25時58分~26時28分(10月12日(木)午前1時58分~2時28分)

プライベートでも仲の良い二人が究極のおしゃれ女子タビに。ひよっこの寮長・小島藤子&女優・宮崎香蓮が青森県・十和田湖・奥入瀬渓流へ。
素敵な日本の風景、極上のホテルルーム、あこがれのおしゃれ女子女子たちとまばゆいファッション・・・オンナの子の憧れがいっぱいにつまった番組。高精彩の4Kカメラにより撮影されています。残念ながら現在の地上波TVでは2Kフルハイビジョンでの放送となりますが、それでも映像の美しさは格別です。ぜひ極上の日本の風景をお楽しみください。

出   演   者 小島藤子&宮崎香蓮
番組案内役 タビフク。コンシェルジュ 季葉(きわ)

「乙女の像」、ちらっとでもいいので写ってほしいものです。


さて、今日は智恵子の命日「レモンの日」。今から智恵子の故郷・二本松に行って、連翹忌等でお世話になっている一色采子さんの出演される公演「智恵子・レモン忌 あいのうた」を拝見して参ります。


【折々のことば・光太郎】

小学校の教育は大学の教育よりも大切です。 本当の人間の根源をつくるからです。
詩「お祝のことば」より 昭和23年(1948) 光太郎66歳

光太郎が蟄居生活を送っていた、花巻郊外太田村山口地区の山小屋の近くにあった太田小学校山口分教場。
近くといっても、山小屋から500メートルほど離れていましたが、その間には民家は一軒もありませんでしたので、最寄りの建造物といえば、これでした。光太郎が山口地区に移り住んだ昭和20年(1945)秋、山小屋が落成するまで、ここの宿直室に1ヶ月ほど寝泊まりしていました。

イメージ 12

その後も、郵便物はここまでしか届けてくれず、光太郎が散歩がてら取りに行って職員室でお茶を飲みながらだべったり、児童が山小屋に届けてくれたりしていました。そうした縁もあり、児童や教職員と光太郎は深い交流を持ち、光太郎は「風の又三郎」の学校のようだ、と評していました。

分教場から山口小学校へと昇格したのは昭和23年(1948)。光太郎は落成式に招待され、この詩を朗読しました。従来、生前に活字になった記録が確認されていませんでしたが、地方紙『花巻新報』の、この年12月7日の号に載った開校式報道の中で引用されていたことが判明しています。

昭和45年(1970)には閉校、その後、市の歴史民俗資料館として活用されていましたが、平成の初め頃、老朽化のため解体されました。

イメージ 13

跡地にはスポーツキャンプ村屋内運動場(通称・高村ドーム)が建設され、毎年5月15日の高村祭が雨天の場合の会場として使われています。また、光太郎が校訓として贈った「正直親切」の書を刻んだ碑も建てられています。

イメージ 14