明日は「レモンの日」。智恵子命日にちなみます。忌日として「レモン忌」とも表されます。
そこで、またまた智恵子の故郷・福島二本松に行って参ります。、二本松市内各所で現在開催中の「重陽の芸術祭2017」の一環として、智恵子生家を会場にダンスパフォーマンスの公演「智恵子・レモン忌 あいのうた」が行われるためです。智恵子を題材にした日本画を多く手がけた二本松出身の故・大山忠作画伯の息女にして女優の一色采子さん(連翹忌にもご参加いただいております)が朗読で参加されるとのことです。
さらに福島ご出身のダンサー・二瓶野枝さんによるモダンダンス。
先頃、智恵子生家にお伺いした際に、たまたまお会いした教育委員会文化課の方に「この座敷でダンスをやって大丈夫なんですか?」と訊いたところ、「そこまで激しい動きではないそうなので」ということでした。
どのような公演になるのか、非常に楽しみです。
そちらが午後6時からということで、またその前に近くのゆかりの地を廻ろうと考えております。明後日以降、レポートいたします。
朗読といえば、光太郎詩を朗読して下さるイベントが近々二つ。
「満天星」ライブ第6回
期 日 : 2017年10月17日(火)会 場 : 船橋市市民文化創造館(きららホール) 千葉県船橋市本町1-3-1フェイスビル6階
時 間 : 開場12時30分 開演13時00分
料 金 : 無料 (全席自由)
問い合わせ : 047−450−6648 「満天星」代表/上田悦子
プログラム :
【第一部】 司会:大野栄子
1 神無月 原作 : 宮部みゆき 上田悦子
2 花の詐欺師 原作 : 古屋信子 誉田信子
3 泳げない魚 原作 : 池田晴海 櫻井芳佳
4 鮒 原作 : 向田邦子 江本なつみ
【第二部】 司会:江本なつみ
5 余寒の雪 原作 : 宇江佐真理 成川洋子
6 ラブ・レター 原作 : 浅田次郎 大野栄子
7 智恵子抄 原作 : 高村光太郎 小林正子
1 神無月 原作 : 宮部みゆき 上田悦子
2 花の詐欺師 原作 : 古屋信子 誉田信子
3 泳げない魚 原作 : 池田晴海 櫻井芳佳
4 鮒 原作 : 向田邦子 江本なつみ
【第二部】 司会:江本なつみ
5 余寒の雪 原作 : 宇江佐真理 成川洋子
6 ラブ・レター 原作 : 浅田次郎 大野栄子
7 智恵子抄 原作 : 高村光太郎 小林正子
一昨年にも、同じ方の「智恵子抄」朗読を含むイベント「第2回小さな朗読〜感動をつくる朗読をめざして〜」をご紹介しました。繰り返し取り上げて下さり、ありがたく存じます。
もう1件。
第4回 JILA朗読コンクール入賞・入選記念 朗読の祭典
期 日 : 2017年10月25日(水)会 場 : 深川江戸資料館 小劇場 東京都江東区白河1-3-28
時 間 : 開場18時30分 開演19時00分
料 金 : 2,500円 (全席自由)
問い合わせ : 03-3356-4140 JILAチケットセンター
プログラム :
石橋 玲 夏目漱石 : 『夢十夜』より「第三夜」 (縄文太鼓:石橋俊一)
村上 長子 志賀直哉 : 転生
藤野 篤子 夏目漱石 : 『夢十夜』より「第八夜」
岩井 奈美 夏目漱石 : 『夢十夜』より「第六夜
渡邊 奈美 森 鷗外 : 牛鍋 (三味線:藤沢しげみ)
勝田のぞみ 峠 三吉 : 『原爆詩集』より「墓標」
桜 さゆり 稗田阿礼 : 古事記 中巻 より 高村光太郎:山のともだち クロツグミ
村上 長子 志賀直哉 : 転生
藤野 篤子 夏目漱石 : 『夢十夜』より「第八夜」
岩井 奈美 夏目漱石 : 『夢十夜』より「第六夜
渡邊 奈美 森 鷗外 : 牛鍋 (三味線:藤沢しげみ)
勝田のぞみ 峠 三吉 : 『原爆詩集』より「墓標」
桜 さゆり 稗田阿礼 : 古事記 中巻 より 高村光太郎:山のともだち クロツグミ
いつも書いていますが、光太郎詩文は、内容的にも表現でもすばらしいところが多く、また、あからさまな七五調、五七調などを採らなくとも、光太郎自身「内在律」という言葉で表現した独特のリズム感、さらにはさりげない踏韻など、意外と朗読に向いています。どんどん取り上げていただきたいものです。
【折々のことば・光太郎】
おれの詩はおれの実体以外になく、 おれの実体は極東の一彫刻家であるに過ぎない。 おれにとつて宇宙は構造の原点であり、 詩は構造の対位法(コントルポアン)だ。 西欧ポエジイは親愛なる隣人だが、 おれの詩の運行は一本軌道がちがつてゐる。
詩「おれの詩」より 昭和23年(1948) 光太郎66歳
冒頭部分では「おれの詩は西欧ポエジイに属さない。/二つの円周は互に切線を描くが、/つひに完くは重らない。」とあります。
洋の内外という問題ではなく、日本詩人の詩に対しても同様です。「白秋、露風、柳虹といふやうな詩人のおかげで、詩は結局自分の言葉で書けばいいのだといふ、以前からひそかに考へてゐてしかも思ひきれなかつた事を確信するに至つた。」(「美術学校時代」昭和17年=1942)と書きつつ、「藤村――有明――白秋――朔太郎――現代詩人、といふ系列とは別個の道を私は歩いてゐます。」(「詩について語らず――編集子への手紙――」昭和25年=1950)とも書いています。
といって、自分の詩のみが良くて、他は話にならん、的な独善的といえる見方はしていません。他人は他人、自分は自分、なのです。