昨日は、智恵子の故郷・福島二本松に行っておりました。

昨年のこの時期に開催された、「福島現代美術ビエンナーレ 2016 -氣 indication -」から誕生した二本松市を拠点に開催される現代アートの祭典「重陽の芸術祭2017」が、昨日からスタートしました。

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昨年同様、智恵子生家の旧長沼酒造も会場となっており、現代アート作家の・清川あさみさんによるインスタレーションの展示が行われていました。

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さらに、やはり昨日から、通常は非公開となっている生家二階――智恵子の居室を含む――の公開も始まっていました。11月26日までの、土・日・祝日の実施だそうです。

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清川さんの作品、こちらがメインの「女である故に」。畳三畳分くらいはありましょうか、不織布にプリントされたものです。

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「写真を縦糸横糸で形成して編んだ」とのことですが、どういう仕組みで出来ているのか、よくわかりませんでした。それにしても大迫力です。

こんなかわいらしい作品も。造花や刺繍糸、ビーズによる「Drem Time」。

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アクリルケースに「ほんとの空」が映っています。

それから、新潮文庫版『智恵子抄』を使った作品が多数。

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公開されていた2階にも。

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こういうのもありなんだ、と思いました。

ところで、生家の庭に据えられたこの燈籠。

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もともとここにあったものですが、昭和4年(1929)に長沼酒造が破産し、智恵子の一家が離散した後、債権者に持ち出されていたのが、つい最近、二本松市に寄贈という形で戻ってきたそうです。

以前から、同型の燈籠が一つありまして、約90年ぶりに二つがご対面。

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付喪神(つくもがみ)といって、長い年月を経た道具などには神や精霊が宿る、という 民間信仰があります。二つの燈籠に付喪神が宿っていたら、再会をさぞや喜んでいることでしょう。


智恵子生家を後に、他に「重陽の芸術祭2017」としての展示が行われている、安達ヶ原ふるさと村さんなどを廻って帰りました。そちらでは、昨年、智恵子生家で展示された小松美羽さんの襖絵など、今年の重点項目である安達ヶ原の鬼婆伝説がらみの展示が多く為されていました(それ以外もありましたが)。

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こちらは切り絵作家の福井利佐さんの作品。福井さんは、来年、智恵子生家の展示をなさるそうです。画像はありませんが、恐ろしい鬼の切り絵もありました。

智恵子生家では、来月5日の智恵子命日「レモンの日」に合わせ、女優の一色采子さんらによる「智恵子抄」朗読とダンスのパフォーマンスが行われます。

また、来月12日からは、生家裏の智恵子記念館で、普段は複製が展示されている紙絵の実物展示が始まります。

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また、後ほど詳しくご紹介しますが、智恵子を偲ぶ「レモン忌」の集い、野村朗氏作曲の連作歌曲「智恵子抄」コンサート、さらには毎年恒例の菊人形もあります。

ぜひ足をお運びください。


【折々のことば・光太郎】

一人の女性の愛に清められて 私はやつと自己を得た。 言はうやうなき窮乏をつづけながら 私はもう一度美の世界にとびこんだ。

連作詩「暗愚小伝」中の「美に生きる」より
 昭和22年(1947) 光太郎65歳

俗世間や古くさい日本彫刻界を相手にせず、ある意味「孤高の芸術家」として、智恵子と二人、手を携えて歩み始めた大正期の回想です。

ところが、世の中との交わりを極力避けるその暮らしは、同じ「美に生きる」中で「都会のまんなかに蟄居した。」と表現されているような生活でもありました。

そうした毎日に息苦しさを感じると、智恵子は「東京に空が無い」とつぶやき、「ほんとの空」のある二本松に帰って、元気をチャージしていました。

しかし、二本松の実家は破産、家族は離散。帰るべき故郷と、頼みにしていた「ほんとの空」を失った智恵子は、さらに自らの絵画の才能にも絶望し、その他、実にさまざまな要因が絡み合った結果、光太郎曰く「精一ぱいに巻き切つたゼムマイがぷすんと弾けてしまつた」のです。