岩手レポートを書いている間に、新聞各紙で光太郎智恵子についていろいろ触れて下さいました。

まず、一昨日の『朝日新聞』さんの夕刊。

(言葉の服)日本人のおしゃれ:下 智恵子の素(しろ) 堀畑裕之

 昭和のおしゃれで見てみたかったのは、『智恵子抄』で知られる智恵子の普段着だ。写真はきものだが、撮影された昭和2年(1927年)、40歳ごろの智恵子について高村光太郎はこう書いている。
 「彼女は独身時代のぴらぴらした着物をだんだん着なくなり、ついに無装飾になり、家の内ではスエタアとズボンで通すようになった。しかも其(そ)が甚だ美しい調和を持っていた。『あなたはだんだんきれいになる』という詩の中で、
 《をんなが附属品をだんだん棄(す)てると/どうしてこんなにきれいになるのか。/年で洗はれたあなたのからだは/無辺際を飛ぶ天の金属》
と私が書いたのも其の頃である」
 今では女性のセーターとズボンなんて当たり前だが、当時はまだ圧倒的にきもので、そんな男みたいな格好は考えられなかった。だが洗練された智恵子の飾らないスタイルは、逆に女性としての素地を美しく際立たせたはずだ。
 そしてこれは期せずして時代の最先端でもあった。1920年代中ごろ~30年にかけて、華の都パリでは「ギャルソンヌ」ルックが流行していた。女性が髪を短く切り、コルセットを脱ぎ捨てて「男の子」のようなスタイルになることである。そのファッションリーダーがココ・シャネルで、実は智恵子とは3歳違いだった。第一次世界大戦後、社会進出した「新しい女」たちが求めたのは、性に縛られない自由で活動的なおしゃれだったのだ。
 互いを尊重し合い、ともに芸術家として苦闘した智恵子と光太郎も、この時代精神を自ら生きていたに違いない。
 連載は最後になります。長い間ご愛読ありがとうございました。(matohuデザイナー)

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しかし、その裏側にはやはりいろいろと軋みがあったと思うのですが……。


続いて『福島民友』さん。7/31(月)の一面コラム。

編集日記 福島好き

 「飛行機好き」を自認する作家の浅田次郎さんは、たとえ長いフライトでも機内では眠らないそうだ。旅先に思いを巡らせたり機内食を食べたり、いろんな楽しみがあると著書に書いている
 ▼そんな浅田さんが乗り合わせたら、どんな感想を語ってくれるだろうか。日本航空が8月、国内・国際線の機内などで、本県にスポットを当て、文化や歴史など、さまざまな魅力を発信してくれることになった。4月から行っている地域プロモーション活動の一環という
 ▼機内誌では白河から会津へと観光地をたどり、その英語版では裏磐梯の自然を特集、機内ビデオでは「ほんとの空」の安達太良山を紹介する。ファーストクラスでは県内の郷土料理や地酒を夕食に用意するなど念が入っている
 ▼本県への観光客は、東日本大震災と原発事故の影響で大幅に減ったが回復しつつある。県は今年の観光客数の目標を震災前(2010年)の1・07倍に当たる6120万人に設定して誘客を進める
 ▼機内誌や機内食で、本県の「絶景」や「温泉」「食と日本酒」をたっぷり楽しんでもらった後は、実際に足を運んで、機上では味わえない本県を堪能してほしい。誰もがきっと「福島好き」になるはずだ。


ついでにJALさんのキャンペーンに関しても。

JAL、福島の魅力発信 8月・機内誌特集やアレンジ郷土料理

 日本航空(JAL)は8月の1カ月間、国内・国際線の機内などで本県の魅力を集中的にアピールする。国内線・国際線の機内誌「SKYWARD」では「扉開ける、東北路」と題し、白河から下郷町の塔のへつり、大内宿、会津若松とたどりながら沿線の歴史と文化を紹介する。
 今年4月からスタートした地域プロモーション活動「地域紹介シリーズ」の一環。英語版では外国人観光客に人気が高い裏磐梯の自然の美しさを特集する。また、お笑いコンビ「パックンマックン」が二本松市と安達太良山などを紹介する機内ビデオを上映する。
 国内線ファーストクラスでは「星野リゾート磐梯山温泉ホテル」がアレンジした本県の郷土料理を夕食に提供する。コメは会津産コシヒカリ、茶菓は福島市の「いもくり佐太郎」、日本酒は会津坂下町の「飛露喜」で、料理を通じて福島の風土と歴史を堪能してもらう。
 このほか、JALマイレージバンクのサービス「とっておきの逸品」では、会津そばなどの県産品を保有マイルと交換できる。JALパックでも会津地区を中心に県内各地のホテルを利用した宿泊プランを設定している。
 ジャルセールスの二宮秀生社長は28日、PRのため福島民報社を訪れた。二宮社長は「さまざまな企画を用意した。福島のためにできる限り力になりたい」と語った。
 日本航空東北支店の筈見昭夫支店長、池俊彦マネージャーが一緒に訪れた。

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がんばろう! 福島!


『読売新聞』さんでは、十和田湖の話題。

国立公園 廃屋撤去しイメージ改善

 環境省や自治体は、全国の国立公園内で廃業したホテルや食堂などの施設が放置されて景観の妨げになっていることから、廃屋の撤去に本格的に乗り出した。
 国立公園を重点的に整備する「国立公園満喫プロジェクト」の一環。電柱の地中化や新たな観光施設の整備も進めることで訪問者数を増やし、自然保護の意識向上につなげたい考えだ。
景観悪化
 青森、岩手、秋田県にまたがり、景勝地として名高い十和田八幡平国立公園内にある十和田湖畔。南岸に位置する「休屋(やすみや)地区」を歩くと、玄関や窓に板を打ち付けた食堂や廃ホテルが目立つ。雄大な自然や、詩人で彫刻家の高村光太郎が作ったブロンズ像「乙女の像」を楽しむことができ、かつては修学旅行生をはじめとする観光客でにぎわっていた。だが、東日本大震災後に廃業が相次ぎ、廃屋が十数軒に上るようになった。
 「暗いイメージがつく」など、地元関係者らの声を受け、同省は同地区の国有地内にある廃屋の撤去を進めることを決めた。2020年度までに撤去し、跡地には開放的な芝生広場などを整備することで、廃屋で遮られていた湖畔の景色を見やすくする。
 休屋地区で飲食店を経営する男性(47)は「景観改善は待ち望んでいた。寂れたイメージを変えるきっかけになるかもしれない」と歓迎する一方、「一つ二つ解体しただけでは人気は回復しないだろう。整備の継続と、人を呼び寄せるソフト面の対策も必要になる」と課題も指摘した。

人気に格差004
 国立公園は現在、全国に34か所あるが、交通の便や知名度によって人気に差がある。ピークの1991年には、国立公園全体を延べ4億1596万人が訪れた。同年の訪問者は、富士山のある富士箱根伊豆国立公園は同1億1434万人、十和田八幡平は同1067万人、阿寒国立公園(北海道)は同697万人だった。
 その後の景気の冷え込みや東日本大震災の影響などで、14年には全体数が同3億5218万人に減少。だが、富士箱根伊豆の人気は衰えず、逆に1億2390万人に増えた。一方で、十和田八幡平は474万人、阿寒は360万人に減って差は広がった。
 十和田八幡平だけでなく、訪問者数が伸び悩む地方の国立公園などで、廃業後の施設が放置されるケースは多く、訪問者から「寂れた地域」「がっかりポイント」などと酷評されることもある。現状を重く見た環境省は、各公園内の国有地内に残されたままの廃屋を撤去または改修し、広場や観光施設などに活用してもらうこととした。各自治体の土地や私有地内の廃屋については、自治体に交付金を活用してもらうなどして再整備を促すことにした。

訪問客増を期待
 大山隠岐国立公園(鳥取、島根、岡山県)では、鳥取県大山町が、公園内にある寺院の参道周辺で景観改善に取り組んでいる。2年前に廃業した飲食・宿泊施設を国の交付金を活用して改修し、今年7月、観光案内所やカフェを備えた施設として生まれ変わった。また、廃業した山荘の解体作業中で、跡地に来年度、商業施設をオープンさせる予定だ。さらに同県は、大山の眺望を遮る電線・電柱を地中化することを検討している。
 日光国立公園(福島、栃木、群馬県)では、温泉地にあるバスの停留所前で、廃業後に放置されたガソリンスタンドを撤去する予定だ。同省関東地方環境事務所の担当者は、「バスを降り立った観光客を、すぐに落胆させたくはない」と話す。阿寒では温泉街の廃屋の撤去方法を検討中。阿蘇くじゅう国立公園(熊本、大分県)では、見通しを遮る立ち木の伐採などを行う予定だ。
 環境省の担当者は「国立公園の目的は、貴重な自然を保護すること。ただ、影響のない範囲で多くの人に美しい風景に親しんでもらい、自然保護への理解につなげてほしい」として、訪問客増に期待している。(野崎達也)

十和田湖休屋地区、確かにゴーストタウン的なところもありまして、気になっています。良い方向へと進んでほしいものです。

他にも光太郎の名が出た記事がありましたが、またの機会にご紹介します。


【折々のことば・光太郎】

この大地の生活物理の裏がはに 人は迅速にして静寂なる天を持つ。

詩「落日」より 昭和15年(1940) 光太郎58歳

上記のようにさまざまな人の営みがあり、しかし、その上にはそれを見守る空があるのですね。