岩手レポートの4回目となります。
7/30(日)、盛岡市の岩手県立美術館さんで開催中の、「巨匠が愛した美の世界 川端康成・東山魁夷コレクション展」を拝観いたしました。
同名の企画展は、かなり以前から全国各地を巡回していますが、今年初め、『伊豆新聞』さんで報じられ、のち全国的にニュースとなった、新発見の川端康成旧蔵の書画などが、今回初めて展示されています。
光太郎の書も1点。詩「樹下の二人」(大正12年=1923)中のリフレイン「あれが阿多多羅山、あの光るのが阿武隈川」を扇面に揮毫したものです。現物を見てもいつ頃の揮毫なのか、何とも言えないところですが、筆跡的には間違いのない物でした。ネット上で小さな画像は事前に見ていましたが、現物を見ると、それまで意識しなかった余白の使い方などの絶妙さに改めて気づかされました。
その他、光太郎と関わりのあった人物の作品などが数多く展示されており、興味深く拝見いたしました。彫刻のロダンや高田博厚、絵画では梅原龍三郎、岸田劉生、木村荘八、安井曾太郎。書で夏目漱石、与謝野晶子、室生犀星、北原白秋など。右はロダンのブロンズ「女の手」。ポストカードが売られていたので購入しました。
光太郎に関わらないものも逸品ぞろいで(国宝も含まれていました)、川端・東山の審美眼に感心させられました。また、下世話な話ですが、その財力にも(笑)。
下記は出品目録です。クリックで拡大します。ここにはブラウザの「戻る」ボタンで戻って下さい。
こちらは8月20日までの開催です。ぜひ足をお運びください。
それから、常設展示も拝見。岩手県立ということで、岩手出身の美術家の作が中心でした。特に興味を引かれたのが、それぞれ多数の作品が展示されている萬鉄五郎、松本竣介、そして舟越保武。やはりそれぞれ光太郎と関わりがありました。萬は大正元年(1912)から翌年にかけてのヒユウザン会(のちフユウザン会)で光太郎と一緒でしたし、松本は昭和10年代に主宰していた雑誌『雑記帳』に光太郎の寄稿を仰いでいます。そして舟越はこのブログでも何度かご紹介しましたが、光太郎がさまざまな援助を行った岩手県立美術工芸学校で教鞭を執り、それ以前には、お嬢様の千枝子さんの名付け親になってもらっています。
こちらは舟越の代表作にして、第5回高村光太郎賞受賞作の「長崎26殉教者記念像」のうちの4体。
舟越の彫刻は、館の入り口に野外展示されてもいました。
というわけで、なかなか充実の展示でした。
当初予定ではここだけ観て帰るつもりでしたが、せっかく盛岡まで来たし、しばらく盛岡に来る予定もないので、市街に車を向けました(県立美術館さんは若干郊外です)。少しだけ光太郎に関わる常設展示が為されているところもついでに観ておこうと思った次第です。
明日は岩手レポートの最終回で、そのあたりをお伝えします。
【折々のことば・光太郎】
私は青年が好きだ。 私の好きな青年は真正面から人を見て まともにこの世の真理をまもる。 私の好きな青年はみづみづしい愛情で ひとりでに人生をたのしくさせる。
詩「私は青年が好きだ」より 昭和14年(1939) 光太郎57歳
しかし、数年後にはその大好きな青年たちを死地に追い込む詩文を乱発します。それだけに、戦後になっての悔恨は深いものがあったのでしょう。7年間に及ぶ、花巻郊外太田村での蟄居生活に結びつくのです。