新刊情報です。

一昨年、NHK Eテレさんでオンエアされた「趣味どきっ!女と男の素顔の書 石川九楊の臨書入門 第5回「智恵子、愛と死 自省の「道程」 高村光太郎×智恵子」」にて講師を務められ、光太郎の書もご紹介下さった、書家の石川九楊氏の著作集全12巻が、ミネルヴァ書房さんから刊行中です。

石川氏、光太郎の独特な書を高く評価して下さっていて、さまざまな著作で光太郎書を取り上げられています。昨年刊行された『石川九楊著作集Ⅵ 書とはどういう芸術か 書論』、『石川九楊著作集Ⅰ 見失った手 状況論』でも、光太郎に触れる部分がありました。

さて、同じ著作集の第九巻、『石川九楊著作集Ⅸ 書の宇宙 書史論』。 版元のサイトでは3月刊行となっていましたが、amazonさんなどでは今月刊行の扱いになっています。やはり光太郎に触れる部分が含まれています。定価は9,000円+税だそうです。

目次

序 書に通ず

第一部 書とはどういう芸術か
 第一章 書は筆蝕の芸術である003
 第二章 書は文学である
 第三章 書の美の三要素――筆蝕・構成・角度
 第四章 書と人間
第二部 早わかり中国書史
 第一章 古代宗教文字の誕生――甲骨文・金文
 第二章 文字と書の誕生――篆書・隷書
 第三章 書の美の確立――草書・行書・楷書
 第四章 書の成熟とアジア――宋・元・明の書
 第五章 世界史の中の中国書――清の書
第三部 早わかり日本書史
 第一章 日本の書への道程
 第二章 日本の書の成立
 第三章 新日本の書――漢字仮名交じり書の誕生
 第四章 鎖国の頹*廃と超克
第四部 書の現在と未来を考える
 第一章 西欧との出会い――近代の書
 第二章 文士の書と現代書
 第三章 戦後書の達成
 第四章 書の表現の可能性

[書の宇宙]
 第一章 「言葉」と「文字」のあいだ――天への問いかけ/甲骨文・金文
 第二章 「文字」は、なぜ石に刻されたか――人界へ降りた文字/石刻文
 第三章 「書」とは、どういうことなのか――書くことの獲得/簡牘
 第四章 石に溶けこんでゆく文字――風化の美学/古隷
 第五章 石に貼りつけられた文字――君臨する政治文字/漢隷
 第六章 「書聖」とは、何を意味するのか――書の古法(アルカイック)/王羲之
 第七章 書かれた形と、刻された形と――石に刻された文字/北朝石刻
 第八章 書の典型とは何か――屹立する帝国の書/初唐楷書
 第九章 「誤字」が、書の歴史を動かす――言葉と書の姿/草書
 第一〇章 書の、何を受けとめたのか――伝播から受容へ/三筆
 第一一章 書の、何が縮小されたのか――受容から変容へ/三蹟
 第一二章 和歌のたたずまい――洗練の小宇宙/平安古筆
 第一三章 書の文体(スタイル)の誕生――書と人と/顔真卿
 第一四章 書史の合流・結節点としての北宋三大家――文人の書/北宋三大家
 第一五章 中華の書は、周辺を吞みこんでゆく――復古という発見/元代諸家
 第一六章 書くことの露岩としての墨蹟――知識の書/鎌倉仏教者
 第一七章 書であることの、最後の楽園――文人という夢/明代諸家
 第一八章 紙は、石碑と化してゆく――それぞれの亡国/明末清初
 第一九章 万世一系の書道――変相(くずし)の様式/流儀書道
 第二〇章 いくつかの、近世を揺さぶる書――近代への序曲/儒者・僧侶・俳人
 第二一章 書法の解体、書の自立――さまざまな到達/清代諸家①
 第二二章 篆・隷という書の発明――古代への憧憬/清代諸家②
 第二三章 篆刻という名の書――一寸四方のひろがり/明清篆刻
 第二四章 新たな段階(ステージ)への扉――書の近代の可能性/明治前後

 [書の終焉――近代書史論]
 序
 書――終焉への風景
 Ⅰ
  明治初年の書体(スタイル)――西郷隆盛
  世界の構図――副島種臣
  写生された文字――中林梧竹
  異文化の匂いと字画の分節――日下部鳴鶴
 Ⅱ
  「龍眠帖」、明治四十一年――中村不折
  再構成された無機なる自然――河東碧梧桐
  最後の文人の肖像――夏目漱石
  ことばと造形(かたち)のからみあい――高村光太郎
  短歌の自註としての書――会津八一
 Ⅲ
  位相転換、その結節点――比田井天来
  主題への問い――上田桑鳩
  諧調(グラデーション)の美学――鈴木翠軒
  〈動跡〉と〈墨跡(すみあと)〉への解体――森田子龍
  文字の肖像写真(ポートレート)――井上有一
 Ⅳ
  日本的様式美の変容――小野鵞堂・尾上柴舟・安東聖空・日比野五鳳
  現代篆刻の表出――呉昌碩・斉白石・河井荃廬・中村蘭台二世

凡 例
解 題
解 説 実感的書論(奥本大三郎)


「書の終焉――近代書史論」中の、「ことばと造形(かたち)のからみあい――高村光太郎」は、完全に光太郎の項ですが、それ以外にも、「文士の書と現代書」などの部分で、光太郎に触れられているはずです。

最新刊は別巻Ⅱの『中國書史』。これが第11回配本で、最終巻の別巻Ⅲ『遠望の地平 未収録論考』が出れば完結です。このブログでご紹介した巻以外にも、光太郎に触れられている部分がありそうな気がしますので、完結後に大きな図書館で全巻を見渡してみようと思っております。


光太郎書といえば、花巻高村光太郎記念館さんの、今年度の企画展。秋には昨年に引き続き、智恵子紙絵。そして冬には光太郎書を扱うそうです。同館には光太郎書の所蔵が非常に多く、常設展示では展示しきれません。そこで、普段、展示に出していない書にも陽の目をあてようというコンセプトになるようです。

秋の智恵子紙絵ともども、詳細が決まりましたら、またお伝えします。


【折々のことば・光太郎】

私は原理ばかり語る。 私は根源ばかり歌ふ。 単純で子供でも話す言葉だ。 いや子供のみ話す言葉だ。

詩「発足点」より 昭和14年(1939) 光太郎57歳

空虚な美辞麗句の羅列や、もってまわったまだるっこしい物言いでなく、だから光太郎の詩はいいのだ、と、当方は思います。