新刊です。

命みじかし恋せよ乙女 大正恋愛事件簿

2017年6月30日 河出書房新社 中村圭子編 定価1,800円+税

イメージ 1

世の中を賑わせた恋愛事件が頻発した大正時代。心中・自殺も流行。平塚雷鳥、与謝野晶子、島崎藤村、有島武郎など。大人気のイラストレーター、マツオヒロミの書き下ろし挿絵収録!

人気イラストレーター・マツオヒロミの描き下ろしイラスト「大正恋愛幻想」3点掲載!

「マツオヒロミは、大正浪漫、昭和モダンの世界に影響を受けてイラストを作成しています。恋愛事件のヒロインとなった女性たちもまた、マツオヒロミの作品によって、現代に生きる女性たちの心の中でリメイクされ、新たな命を得ることができるでしょう。」(本文より)

ゴシップに人々の関心が集まるのは現代も同じですが、大正という時代は結婚に対する日本人の考え方が変化していた時代であり、恋愛事件は単なるゴシップである以上に、女性の生き方や結婚制度に問題を投げかけるものでもありました。恋のために世間の非難や嘲笑と闘い、最終的には幸福になった人もいれば、一方では自殺するなどの不幸な結末を迎えた人もいます。
平塚らいてうの運命の出会い、松井須磨子の後追い自殺、佐藤春夫の「魔女事件」、藤原義江をミラノに追った藤原あき、岡田嘉子が決行した雪の国境越えと銃殺された恋人等––世の中を賑わせた恋愛事件を多数収録!
大正時代のさまざまな恋のいきさつは、現代人にとっても大変興味深いものであり、そこから学ぶことは多いと思われます。

目次
第1章
 姦通罪による投獄―北原白秋×松下俊子・江口章子003
 恋愛なき心中未遂―平塚らいてう×森田草平
 運命の出会い―平塚らいてう×奥村博史
 歌姫の情熱―与謝野晶子×与謝野鉄幹
 姪との禁じられた恋―島崎藤村×島崎こま子

 後追い自殺の衝撃―松井須磨子×島村抱月
 サッフォーのごとく
   ―田村俊子×長沼智恵子・田村松魚・鈴木悦

第2章
 私は誘惑していません―原阿佐緒×石原純
 人妻との山荘情死事件―有島武郎×波多野秋子
 筑紫の女王、恋の出奔―白蓮×宮崎龍介
 「魔女事件」「妻譲渡事件」―佐藤春夫×谷崎千代
 追うときも別れるときも潔く―藤原あき×藤原義江
 友情の絆は、色恋の関係より強いか―澤モリノ×石井獏
 恋愛放浪―山田順子×竹久夢二・徳田秋聲
 「椿姫事件」そして「雪の国境越え」―岡田嘉子×竹内良一・杉本良吉

コラム
 大正初年代の恋愛観/「ナヲミズム」が自由恋愛を広める/大正後期の恋愛観

副題の通り、主に大正時代のさまざまな恋愛模様を紹介するというコンセプトの書籍です。智恵子がその創刊号の表紙を描いた雑誌『青鞜』メンバーにして、智恵子ともっとも親しかった田村俊子の項で、智恵子にも触れて下さっています。

イメージ 2  イメージ 3

女性同士の同性愛が、当時、一種の流行でした。ズブズブ、ドロドロというわけではなかったようですが、光太郎と出会う前の智恵子と俊子の間にも、それに近い感情があったようです。多少の誇張があると思いますが、そのあたりは俊子の小説「わからない手紙」「悪寒」(大正元年=1912)、「女作者」(同2年=1913)、随筆「二三日」(明治45年=1912)などに描かれています。

その他、北原白秋、与謝野夫妻、平塚らいてう、有島武郎、佐藤春夫ら、光太郎智恵子と親しく交わった面々の「事件簿」も。マツオヒロミさんのイラストの他、当時の写真などもふんだんに使われ、ビジュアリックな作りになっています。

光太郎智恵子としての項はありません。そこに事件性があまりないためでしょう。扱われているのは、不倫やら駆け落ちやら三角関係やら心中やら、どれも現代であればワイドショーや週刊誌を賑わせるケースです。といって、野次馬根性的に読むのではなく、「恋愛」に命をかけた人々の人間ドラマとして読みたいものです。

編者の中村圭子さんが勤務されている文京区の弥生美術館さんで「「命短し恋せよ乙女」 ~マツオヒロミ×大正恋愛事件簿~」展も開催中。書籍で紹介されているすべての「事件」が扱われているのか不明ですが、とりあえずご紹介しておきます。

イメージ 4


【折々のことば・光太郎】

或は鏃のやうにするどく 或は愚かのやうにのどかである。

詩「芋銭先生景慕の詩」より 昭和14年(1939) 光太郎57歳

茨城牛久沼のほとりの草庵に暮らした日本画家・小川芋銭(うせん)を顕彰する詩の一節です。芋銭は前年に亡くなっています。芋銭のパトロンだった茨城取手の素封家・宮崎仁十郎(子息がのちに光太郎姻戚となる詩人・宮崎稔)を通し、この詩が作られました。おそらく、生前の芋銭と光太郎には直接の交流は無かったように思われます。

鏃(やじり)のような鋭さ、それと対照的な愚か者のようなのどかさ、両極を併せ持った芋銭へのオマージュであると同時に、自らもそうありたいという願望かもしれません。