毎年この時期に行われる、古書業界最大の市(いち)、七夕古書大入札会。先週、出品目録が届きました。ネット上でも見られるようになっています。

毎年、光太郎関連も貴重な出品物があります。目録では作者ごとに並べてあり、光太郎メインは「文学」の№102~106。もの自体はいいものが多いのですが、以前から都内の古書店さんが在庫として持っていたものばかりで、目新しいものはありませんでした。昨年と同じ出品物も含まれています。

№102の「高村光太郎詩稿 三枚」。大正15年(1926)の第二期『明星』に発表された「滑稽詩」です。

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№103で「高村光太郎詩稿額 一面」。昭和15年(1940)、『文芸』が初出の詩「へんな貧」です。

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№104は「高村光太郎草稿 三枚」。昭和18年(1943)に刊行された木村直祐、宮崎稔共編詩集「再起の旗」の序文です。

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№105、「高村光太郎書簡 一通」。これも以前から都内の古書店のサイトに在庫として掲載されていましたが、逆の意味で興味を引かれています。というのは、全く同じ文面の葉書が別に存在するのです。そして、こちらはどうも光太郎の筆跡とは異なっています。そのわりには封筒もついており、どういうことだろうと不思議に思います。出品物全点を手に取って見ることができる下見展観がありますので、その際に確認してみようと思っています。

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№106が「高村光太郎を巡る草野心平・尾崎喜八書簡葉書」。詩人志望の青年に、断念するよう忠告する内容の光太郎書簡が二通。画像上半分は、詩集を出版したいので序文を書いてくれ、という求めに対し、断りの書簡と共に別便で送られてきた詩稿を返送した際の包装と鉄道荷札です。尾崎喜八、草野心平からの書簡も附いています。

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これ以外に、光太郎メインではない出品物で、光太郎のものも含まれているものがあり、かえってこちらに興味を引かれています。

№347に「更科源蔵「犀」“種薯”紀念号 草稿及書簡・ハガキ類綴」。北海道弟子屈で開拓にあたりながら詩作を続けた詩人・更科源蔵の詩集『種薯』(昭和5年=1930)を特集した雑誌『犀』(同6年=1931)のための草稿など。光太郎の「更科源蔵詩集「種薯」感想」の草稿も含まれています。これは実物を見たことがなく、また、画像を見ると原稿用紙欄外にいろいろ書き込みがあり、非常に興味深いものです。

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北海道の方では、新たな文学館の建設計画があり、そのあたりに収蔵されれば、と思っています。

さらに№346で「文学者葉書集 七九枚」。光太郎のものも含まれています。『高村光太郎全集』等未収録のものであってほしいと思っております。

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№338には「ARS 六冊」。大正4年(1915)のもので、6冊すべてに光太郎訳の「ロダンの言葉」が掲載されています。

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他にも光太郎に関わる出品物がありそうな気配です。

出品物全点を手に取って見ることができる下見展観が、7月7日(金)午前10時〜午後6時、7月8日(土)午前10時〜午後4時に行われます。会場は神田神保町の東京古書会館さん。別件の用事もあり、当方は8日に行って参ります。

皆様も是非どうぞ。


【折々のことば・光太郎】
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幽暗の水底(みなぞこ)にふかく沈んで 三十六鱗にひびく苛烈の磁気嵐に耐へ、 一切を感じて静かに息する鯉を彫る。 波をうてば瀧をも跳ぶし、 雲にのれば龍と化する、 あの鯉の静まり返つた幽暗の烈気を彫る。

詩「鯉を彫る」より
 昭和11年(1936) 光太郎54

木彫「鯉」は、新潟の歌人・松木喜之七の依頼で彫り始めましたが、結局、納得の行く作が出来ず、断念しました。光太郎としてもかなり力を入れて取り組んでいて、この詩からもそれがうかがえます。

複数点完成させた「鯰」と異なり、鱗の処理がどうしてもうまくいかなかったとのこと。

土門拳による制作風景の写真が残っています。