JR成田駅前の成田市芸術文化センタースカイタウンギャラリーで、以下の企画展が催されています。
下総御料牧場の記憶 ~第9代下総御料牧場長・田中二郎の残したアルバムを中心に~
期 日 : 2017年6月3日(土)~6月25日(日)会 場 : 成田市芸術文化センタースカイタウンギャラリー5F
千葉県成田市花崎町828-11
千葉県成田市花崎町828-11
時 間 : 午前10時から午後5時
休館日 : 月曜日
料 金 : 無料
主 催 : 成田市 成田市教育委員会
昨日の『朝日新聞』さんの千葉版に載った記事です。
宮内庁下総御料牧場は、明治8年(1875)に開場した下総牧羊場を前身とし、同18年(1885)、宮内省(当時)直轄化。成田空港の建設工事に伴い、昭和44年(1969)に那須に移転するまで存続していました。
一帯は、成田空港や宅地となっていますが、航空写真を見ると、牧場だった頃の名残があちこちに見られます。この楕円形になっている道路などもその一つ(NHKさんの「ブラタモリ」のようですね(笑))。
光太郎の親友だった作家の水野葉舟が大正13年(1924)にこの地に移り住み、昭和22年(1947)に亡くなるまで、牧場近くに住み続けました。葉舟は、元々、前年に光太郎が日本画家の山脇謙次郎のために建ててやった小屋に入り、その後、近くに自分で家を建てました。そうした縁もあり、光太郎も何度か御料牧場を訪れています。ただし、細かな年月日、何度訪れたかなどは現時点では不明です。
以前にもご紹介しましたが、光太郎は御料牧場を舞台に、詩「春駒」を作りました。
春駒
三里塚の春は大きいよ。
見果てのつかない御料牧場(ごれうまきば)にうつすり
もうあさ緑の絨毯を敷きつめてしまひ、
雨ならけむるし露ならひかるし、
明方かけて一面に立てこめる杉の匂に、
しつとり掃除の出来た天地ふたつの風景の中へ
春が置くのは生きてゐる本物の春駒だ。
すつかり裸の野のけものの清浄さは、野性さは、愛くるしさは、
ああ、鬣に毛臭い生き物の香を靡かせて、
ただ一心に草を喰ふ。
かすむ地平にきらきらするのは
尾を振りみだして又駆ける
あの栗毛の三歳だらう。
のびやかな、素直な、うひうひしい、
高らかにも荒つぽい。
三里塚の春は大きいよ。
三里塚の春は大きいよ。
見果てのつかない御料牧場(ごれうまきば)にうつすり
もうあさ緑の絨毯を敷きつめてしまひ、
雨ならけむるし露ならひかるし、
明方かけて一面に立てこめる杉の匂に、
しつとり掃除の出来た天地ふたつの風景の中へ
春が置くのは生きてゐる本物の春駒だ。
すつかり裸の野のけものの清浄さは、野性さは、愛くるしさは、
ああ、鬣に毛臭い生き物の香を靡かせて、
ただ一心に草を喰ふ。
かすむ地平にきらきらするのは
尾を振りみだして又駆ける
あの栗毛の三歳だらう。
のびやかな、素直な、うひうひしい、
高らかにも荒つぽい。
三里塚の春は大きいよ。
昭和52年(1977)には、この詩を刻んだ碑が、かつての御料牧場跡地に建てられた三里塚御料牧場記念館を含む三里塚記念公園内に除幕されました。
実は最近、大正時代に御料牧場の獣医師だった人物の御子孫(東京ご在住)から連絡がありました。光太郎と葉舟がかつて牧場内のその獣医師の官舎を何度か訪れ、別のご子孫のお宅に、光太郎関連の資料が遺っているとのこと。この秋に拝見するお約束をいたしました。もしかすると、前述の御料牧場を訪れた、細かな年月日、何度訪れたかなどの手がかりがつかめるかも知れません。
そうした関係もあり、もう一度、御料牧場について調べ始めた矢先に、この企画展。隣町ですので、早速、拝見して参りました。
昭和17年(1942)から同39年(1964)にかけ、代9代の牧場長を務めた、故・田中二郎氏のアルバムから採った写真が中心で、光太郎が訪れた時期より下るものでしたが、興味深く拝見しました。
御料牧場ということで、皇室の方々もよくいらしていたようで、颯爽と馬にまたがる今上天皇の皇太子時代のお写真、美空ひばりさんやエンタツ・アチャコさんらが写っている同牧場での映画のロケでのスナップ(上記チラシ等に使われているもの・おそらく昭和25年=1950封切りの「青空天使」)などなど。
前列左から4人目の少女が美空さん、その右隣が母親役の入江たか子さんです。後ろには牧場のサイロが写っています。
写真以外にも、動物彫刻家・池田勇八から田中が贈られた騎馬像なども展示されていました。池田は東京美術学校での光太郎の後輩に当たり、光太郎は文展や帝展の評では、池田の作品を比較的好意的に紹介しています。
牧場跡地の三里塚記念公園ともども、ぜひどうぞ。
【折々のことば・光太郎】
此世の表層(うはかは)をむき取るとこんなに世界は美しい
詩「“Die Welt ist schoen”」より 昭和5年(1930) 光太郎48歳
題名の「“Die Welt ist schoen”」は、「世界は美しい」の意の独語です。ドイツの写真家、アルベルト・レンゲル・パッチュがこの2年前に刊行した写真集の題名を転用しており、詩の中にもレンゲルに語りかける部分があります。
のちに光太郎自身も「世界は美し」という詩(昭和16年=1941)を書きましたし、表記を変えて揮毫したりもしています。右は今年2月に亡くなった、埼玉東松山市教育長、日本ウオーキング協会副会長だった田口弘氏に贈られた書です。
「美し」といえる世界であって欲しいものです。ところが、「美しい国、日本」はどこへやら、提唱者自身がこの国を踏みにじっているのが現状ですね(笑)。