昨日の『朝日新聞』さんに載った訃報です。
西郷竹彦さん死去
西郷竹彦さん(さいごう・たけひこ、本名・隆俊=たかとし、文芸教育研究協議会会長)12日、急性肺炎で死去、97歳。葬儀は家族のみで営む。喪主は妻京子さん。同協議会が7月29日に神戸市で開く「文芸研神戸大会」の中で、「偲(しの)ぶ会」を催す予定。著書に「西郷竹彦文芸・教育全集」など。『東京新聞』さんにも、ほぼ同一の訃報が掲載されたようですが、他紙はネット上では見あたりませんでした。
当方、氏の御著書を一冊持っており、朝刊を広げてお名前を訃報欄で目にし、「あらららら……」と思った次第です。
それが黎明書房さんか
ら平成5年(1993)刊行の『名詩の美学』。小中高の教科書に採用されたものを中心に、光太郎を含む30余名の近現代詩人の作品を取り上げ、「美の構造仮説にもとづく解釈」(「はじめに」より)が為されています。

どちらかというと国語教員向けに書かれたようで、カバーには「小・中・高における詩の「読解鑑賞指導」の限界を明らかにし」という文言も記されています。版元の黎明書房さんは、教育関係図書の出版で実績を持っています。西郷氏ご自身、訃報にあるとおり、文芸教育研究協議会会長であらせられ、鹿児島県立短期大学文学科で教鞭を取られていました。
しかし、純粋に教員向けかというとそうでもなく、授業指導のあり方を提案するとかではないので、いわゆる「教育書」の範疇には入りません。個々の詩の作品論集成です。
光太郎詩は「ぼろぼろな駝鳥」(昭和3年=1928)が扱われています。題して「たがいに異質な感情の止揚――高村光太郎「ぼろぼろな駝鳥」」。
終末部分を引用させていただきます。
この詩の美の構造を図式的に表現するならば、次のようになるだろう。
怒りの口調に悲しみの心を述べる。悲哀の姿に滑稽をさえ感じさせ、さらに滑稽であることでいっそうのみじめさ、哀れさをひきおこさせる。卑属にまみれた姿の中に超俗の姿を、また失われた聖なるものの姿を垣間見せる。美をねがい救いを求め、理想にあこがれる姿に愚と聖を同時にとらえ、小さな素朴の中に無辺大の夢を追う。つまり駝鳥にして駝鳥にあらざるもの――人間――をともに描き出す。
ここに、この詩の美の構造を見ることができる。たんに〈怒り〉〈憤怒〉〈批判〉〈抗議〉とのみ見てはならない。
なるほど。
調べてみましたところ、「増補版」が平成23年(2011)の上梓、まだ在庫があるようです。目次は以下の通り。
序 現実をふまえ、現実をこえる世界―佐藤春夫「海の若者」
1 矛盾するイメージの二重性―井伏鱒二「つくだ煮の小魚」
2 美の典型をとらえる―村野四郎「鹿」
3 一瞬にして永遠なる世界―三好達治「大阿蘇」
4 イメージの筋が生みだすもの―小野十三郎「山頂から」
5 現実と非現実のあわいの世界―中原中也「一つのメルヘン」
6 象徴化されていくプロセス―萩原朔太郎「およぐひと」
7 日常性に非日常を見る―長谷川龍生「理髪店にて」
8 心平詩〈つづけよみ〉―草野心平「天」「作品第拾捌」「海」
9 否定態の表現―中野重治「浪」
10 たがいに異質な感情の止揚―高村光太郎「ぼろぼろな駝鳥」
11 現実が虚構である世界―丸山 薫「犀と獅子」
12 無意味(ナンセンス)の意味―谷川俊太郎「であるとあるで」
13 自他合一の世界―安水稔和「水のなかで水がうたう歌」
14 一即一切・一切即一―高見 順「天」
15 自己の存在証明―石原吉郎「木のあいさつ」
16 天を見下ろす逆説―山之口 貘「天」
17 自己分裂・喪失の悲喜劇―藤富保男「ふと」
18 根拠なき推理の生む虚像―藤富保男「推理」
19 生命の芽ぶくドラマ―安東次男「球根たち」
20 まとめられぬまとめ―詩の美のかぎりない多様さ
21 二相ゆらぎの世界(宮沢賢治)―その1「烏百態」
22 二相ゆらぎの世界(宮沢賢治)―その2「永訣の朝」
補説 西郷文芸学の基礎的な原理―主として「話者の話体と作者の文体」について
1 矛盾するイメージの二重性―井伏鱒二「つくだ煮の小魚」
2 美の典型をとらえる―村野四郎「鹿」
3 一瞬にして永遠なる世界―三好達治「大阿蘇」
4 イメージの筋が生みだすもの―小野十三郎「山頂から」
5 現実と非現実のあわいの世界―中原中也「一つのメルヘン」
6 象徴化されていくプロセス―萩原朔太郎「およぐひと」
7 日常性に非日常を見る―長谷川龍生「理髪店にて」
8 心平詩〈つづけよみ〉―草野心平「天」「作品第拾捌」「海」
9 否定態の表現―中野重治「浪」
10 たがいに異質な感情の止揚―高村光太郎「ぼろぼろな駝鳥」
11 現実が虚構である世界―丸山 薫「犀と獅子」
12 無意味(ナンセンス)の意味―谷川俊太郎「であるとあるで」
13 自他合一の世界―安水稔和「水のなかで水がうたう歌」
14 一即一切・一切即一―高見 順「天」
15 自己の存在証明―石原吉郎「木のあいさつ」
16 天を見下ろす逆説―山之口 貘「天」
17 自己分裂・喪失の悲喜劇―藤富保男「ふと」
18 根拠なき推理の生む虚像―藤富保男「推理」
19 生命の芽ぶくドラマ―安東次男「球根たち」
20 まとめられぬまとめ―詩の美のかぎりない多様さ
21 二相ゆらぎの世界(宮沢賢治)―その1「烏百態」
22 二相ゆらぎの世界(宮沢賢治)―その2「永訣の朝」
補説 西郷文芸学の基礎的な原理―主として「話者の話体と作者の文体」について
ぜひお買い求めください。
なお、当方、もう一冊、氏の名が「監修」でクレジットされている書籍も持っています。しかし、重大な瑕疵のあるものですのでご紹介は控えさせていただきます。ただし、その瑕疵に西郷氏は関わっていません。あくまで出版社としての矜恃を持たない間抜けな版元のボーンヘッドで、監修者としての氏が実に気の毒に思われます。
閑話休題。改めまして、謹んで西郷氏のご冥福をお祈り申し上げます。
【折々のことば・光太郎】
憤りか必至か無心か、 この人はただ途方もなく 無限級数を追つてゐるのか。
詩「刃物を研ぐ人」より 昭和5年(1930) 光太郎48歳
「刃物」は彫刻刀や鑿の類、「刃物を研ぐ人」、「この人」は光太郎自身です。
まさに飽くなき美の探求、そこに生涯をかける意志の表出ですが、それはどこまでいっても終わりのない道程でもあります。人生もとっくに後半生に入っていることを自覚し、残された時間で自分はどこまで進めるだろう、という、青年期の単なる無邪気な夢の追求では済まされない、悲壮感も読み取れます。
そしてそっくり我が身にも……と感じる今日この頃です(笑)。