光太郎の父・高村光雲に関わりそうな企画展示です。

台東区博物館ことはじめ

期 日 : 2017年6月16日(金)~9月20日(水)
時 間 : 月から土曜日まで 午前9時から午後8時まで
         日曜・祝日 午前9時から午後5時まで
            台東区西浅草3丁目25番16号 台東区生涯学習センター2階
料 金 : 無料
休館日 : 第3木曜日(祝日の場合は開館し直後の平日を休館)

 本企画展は、台東区発足70周年を記念して台東区の博物館をとりあげます。江戸時代の薬品会や物産会を源流とした博覧会の歴史、そして上野公園に誕生した黎明期の博物館の歴史をひもときます。
 あわせて台東区芸術文化財団が運営する一葉記念館、下町風俗資料館、朝倉彫塑館、書道博物館、旧東京音楽学校奏楽堂の写真を紹介します。

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関連行事 

トーク・イベント「台東区の博物館」 

日   時  平成29年7月8日(土曜日) 14時から16時まで
場   所  台東区生涯学習センター3階 301研修室
定   員  50名(応募多数の場合は抽選)
参加費  無料

1 「江戸の物産会から明治の博覧会へ」
   平野恵(台東区立中央図書館郷土・資料調査室専門員)
2 「台東区の博物館―朝倉彫塑館を中心に―」 戸張泰子(朝倉彫塑館研究員)

 申込方法
 (1)はがきによる申込
  往復はがき(一人一枚)に「トーク・イベント」と明記し、氏名・住所・電話番号を記入
  の上、以下の宛て先に
郵送してください。
  締め切りは、平成29年6月28日(水曜日)17時必着です。
  〒111-8621 台東区西浅草3丁目25番16号 台東区立中央図書館郷土担当  
 (2)電子申請による申込
  以下の電子申請フォームからお申し込みください。
  外部サイトへリンク 新規ウインドウで開きます。
  http://www.shinsei.elg-front.jp/tokyo/navi/procInfo.do?govCode=13106&acs=tosho
  申込期限は、平成29年6月28日(水曜日)17時です。
 

専門員によるギャラリー・トーク

 展示品の見どころを直接展示会場で解説します。
  日時 平成29年8月6日(日曜日)16時15分から17時まで
  場所 台東区立中央図書館2階 郷土・資料調査室
  
定員 先着20名
  申込 来館又は電話 03-5246-5911

専門員によるスライド・トーク

 展示品の見どころをスライドで解説します。
 日時 平成29年9月14日(木曜日)13時30分から14時まで
 場所 台東区生涯学習センター5階 504教育研修室
 定員 先着50名 申込 不要

もともと一介の仏師に過ぎず、しかも明治初めにはいわゆる廃仏毀釈のあおりで注文が激減、洋傘の柄や、陶器の灰皿の木型、はては縁起物の熊手まで作って糊口をしのいでいた光雲が、当代一流の彫刻家とみなされ、東京美術学校教授、帝室技芸員にまで上り詰める端緒となったのが、明治10年(1877)に開催された第一回内国勧業博覧会でした。光雲は師・高村東雲の代作で「白衣観音像」を制作し出品、みごと一等龍紋章を受賞して一躍有名になったのです。

第二回内国勧業博覧会は、同14年(1881)、光太郎の生まれる二年前です。この際にも光雲は「龍王像」を出品しました。第三回は同23年(1890年)。この回から光雲は審査員を拝命しています。ここまでの会場は、上野公園の特設会場。第四回(同28年=1895年)は京都、第五回(同36年=1903)が大阪での開催となり、それでその歴史の幕を閉じました。

いっぽう、明治15年(1882)、第二回内国勧業博覧会の会場として建てられた煉瓦造2階建の展示館をメインに、さかのぼる第一回内国勧業博覧会の会場だった建物も使い、東京国立博物館が誕生しました。組織自体はもっと前からあったのですが、実質的なスタートはこの年です。

003今回の企画展、このあたりに関わる展示が為されるようです。上記チラシ表面で使われているのは、第二回内国勧業博覧会の会場を描いた錦絵(右の画像)です。裏面にも別の錦絵が掲載されています。

その後も光雲が出品した種々の展覧会などで、上野を会場としたものが少なからずあったと思われます。

ついでにいうなら、光太郎の展覧会出品歴も、はじめの頃はすべて上野でした。

明治33年(1900)、彫塑会第一回展覧会が上野公園竹の台陳列館五号館で開かれ、塑像「観月」を出品。翌年には同展の第二回で東京美術学校校友会倶楽部が会場、出品作は石膏レリーフ「仙」「まぼろし」。さらに同35年(1902)で、東京美術学校を会場に、塑像「獅子吼」を出品した同校生徒成績品展覧会。そして欧米留学に出る前年の同38年(1905)には、第一回彫塑同窓会展。会場は上野公園竹の台陳列館五号館、出品作は「薄命児」と「解剖台上の紅葉山人」でした。

ただし、今回の企画展のコンセプトからすると、時代が少し下るようです。


ぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

あいにくながら今は誰でも口に蓋する里のならひだ

詩「上州川古「さくさん」風景」より 昭和4年(1929) 光太郎47歳

過日ご紹介した「上州湯檜曾風景」と対を為す詩です。やはり上州山奥の、こちらは木酢工場を舞台とし、こき使われ、旅人=光太郎に人恋しさをつのらせる労働者をモチーフとしています。

前年には我が国初の普通選挙が実施されましたが、社会主義、共産主義、無政府主義の台頭に危機感を抱いた田中義一内閣は、治安維持法違反容疑により全国で一斉検挙を行い、日本共産党、労働農民党などの関係者約1600人が検挙されました。いわゆる三・一五事件です。これに抗議する小説『一九二八年三月十五日』を書いた小林多喜二は、これにより特高警察の逆鱗に触れ、昭和8年(1933)、拷問の末、虐殺されました。

光太郎の周辺でも、光太郎を敬愛していた彫刻家・高田博厚が、共産党員をかくまったかどで警察に留置されたのも、昭和3年(1928)のことでした。昭和3年といえば、治安維持法違反の最高刑が死刑に改悪された年でもあります。この後の泥沼の15年戦争へと向かう一つの転換点だった、非常にきな臭い時期だったわけですね。

しかし、本当に恐ろしいのは、為政者や軍の暴走ではなく、それを容認していた多数の一般国民の存在です。現今の我が国の情勢と非常によく似ていますね。さまざまな疑惑の当事者は「口に蓋」し、勇気を持って上げた声は黙殺され、あまっさえ見せしめの人格攻撃。そしてあったことがなかったことになる……。

こういうことを書いていると「テロ等準備罪」でひっくくられる、そういう世の中になってしまうのでしょうか?