青森の地方紙『東奥日報』さん、先週の記事から。
一行は弘前市の弘大文京キャンパスを朝に出発し、秋田県の小坂鉱山事務所跡を見学した後に休屋に到着。2班に分かれてガイド付きで散策した。
ガイドの1人は弘大OBで、十和田市の地域おこし協力隊活動2年目の山下晃平(こうへい)さん(27)。高村光太郎による「乙女の像」、十和田神社、修験者たちが修行や祈りを行っていた洞窟の跡が連なる「開運の小道」などを案内し、ナナカマド、ダケカンバ、ヤマツツジなど湖畔の豊かな植生の解説も織り交ぜた。
十和田市が外部業者に委託して行った昨年10月の調査では、十和田湖地区への観光客はシニア層が中心で、将来的な「十和田湖ファン」の獲得が課題になっている。山下さんは見学を終え、休屋を去る学生たちに「土日でもこの通り、人が少ない。観光で食べている方も多いので、お客さんにもっと来てほしい。若い人がなかなか来てくれないことが悩みなので、感じたことをリポートにまとめて」と話していた。
参加者の理工学部1年生・井畑礼さん(18)=札幌市出身=は、十和田湖を訪れるのが中学の修学旅行以来といい、「自然に触れる良い機会になった。今度はもっと天気のいい日に、友達と一緒に来てみたい」と話した。初めて訪れた理工学部大学院2年の女性=静岡県出身=も「今度は湖の上からの景色を見てみたい」と再訪に前向きだった。
十和田湖の魅力知って 大学生ツアー
青森県弘前市と十和田湖を結ぶ予約制のシャトルバスを運行している「りんごのふるさとシャトルバス運営協議会」(会長・櫻田宏弘前市観光振興部長)と弘前大学はこのほど、弘大生対象のモニターツアーを実施した。近年十和田湖観光から遠のいている若年層に魅力をアピールし、バスの利用を促進するのが狙い。昼前に休屋地区に着いた県外出身者中心の弘大生16人は、ガイドの案内で湖畔のスポットを巡った。一行は弘前市の弘大文京キャンパスを朝に出発し、秋田県の小坂鉱山事務所跡を見学した後に休屋に到着。2班に分かれてガイド付きで散策した。
ガイドの1人は弘大OBで、十和田市の地域おこし協力隊活動2年目の山下晃平(こうへい)さん(27)。高村光太郎による「乙女の像」、十和田神社、修験者たちが修行や祈りを行っていた洞窟の跡が連なる「開運の小道」などを案内し、ナナカマド、ダケカンバ、ヤマツツジなど湖畔の豊かな植生の解説も織り交ぜた。
十和田市が外部業者に委託して行った昨年10月の調査では、十和田湖地区への観光客はシニア層が中心で、将来的な「十和田湖ファン」の獲得が課題になっている。山下さんは見学を終え、休屋を去る学生たちに「土日でもこの通り、人が少ない。観光で食べている方も多いので、お客さんにもっと来てほしい。若い人がなかなか来てくれないことが悩みなので、感じたことをリポートにまとめて」と話していた。
参加者の理工学部1年生・井畑礼さん(18)=札幌市出身=は、十和田湖を訪れるのが中学の修学旅行以来といい、「自然に触れる良い機会になった。今度はもっと天気のいい日に、友達と一緒に来てみたい」と話した。初めて訪れた理工学部大学院2年の女性=静岡県出身=も「今度は湖の上からの景色を見てみたい」と再訪に前向きだった。
十和田湖に限らず、当方、行く先々の観光地的な場所で、たしかに若年層の姿は少なく感じます。よく目にするのはいわゆるシニア世代の皆さん。その方々はお孫さんを連れて、というのではなく、老夫婦お二人でとか、気のあったお仲間同士でというのが目立つように思われます。家族形態やらそれぞれの年代のライフスタイルやらの変化が大きいのでしょう。
若年層にとっては、昔ほど「旅」というものにロマンを感じなくなっているのかもしれません。「旅をしないやつはダメだ」と決めつけるつもりは毛頭ありませんが、やはり見聞を広めるという意味では、百聞は一見にしかず、あちこち出かけるのが効果的です。
旅行にはお金がかかる、列車料金が高い、新幹線などで移動してもその先のローカル線や路線バスがどんどん廃止されている、高速道路料金も高い、第一、最近の若者は車離れ、バイト代はスマホ料金に消える、世の中全体不景気だし、わざわざ外に出ずともネットやテレビで居ながらにして情報は手に入る、スキーやら登山やらツーリングやらサイクリングやらも下火、娯楽形態の変化、仲間としじゅう一緒にいなくてもSNSでつながっているから行動を共にする必要もない、そして何といっても少子化……。要因を挙げればきりがありませんね。
そこであきらめてしまって、各自治体や観光関係者も手をこまねいていてはいけないわけで、記事にあるような試みもその打開のための一つの方策でしょう。
旅離れ現象が続く中でも、魅力的なテーマパーク、人気のイベントなどには人が集まっています。だからといって、ナントカ村とかの中途半端なテーマパークや、十分な計画性のない、一過性の流行イベントを観光地に誘致し、結局、長期的には人が来ずに負のレガシィとして残るというケースも少なくありませんね。そういう方向ではなく、あるものをいかに活用するか、いかにその魅力を発信するかが鍵だと思います。
各自治体や観光関係の皆さん、よろしくお願いいたします。
【折々のことば・光太郎】
詩とは文字ではない、言葉である。 言葉とはロゴスではない、アクトである。
詩「非ユークリツド的」より 昭和4年(1929) 光太郎47歳
「ロゴス」は論理、「アクト」は行動。
意味のない文字の羅列に過ぎないものではなく、実感を伴う言葉を生かしたものこそが詩であると、この頃からはやり始めた現代詩的なものへの警句でしょうか。もう少し早い時代の作であれば、空虚な美辞麗句を並べただけの新体詩、文語定型詩への訣別宣言と捉えられますが。若い詩人たちに、あるいは自らへの自戒も含め、過去の新体詩、文語定型詩の陥った陥穽にはまるべからず、ということかもしれません。
あるいは、内容の尖鋭さのみが優先され、詩としての言葉の美しさをなおざりにしていたプロレタリア詩的なものへの反発、という側面もあるかもしれません。