自主制作のDVDをいただきました。題して「小さなパラダイス 昔の大井町あたり」。
制作は、品川ご在住の石井彰英(しょうえい)氏。ミュージシャンにしてジオラマ作家の方です。当方、存じ上げない方でしたが、このブログをご覧になられたようで、ご連絡をいただきました。
失礼ながらネットで調べさせていただいたところ、江ノ電さんのサイトに氏のジオラマに関する記述がありました。引用させていただきます。
平成20年11月20日(木)より江ノ島駅1番線(藤沢行きホーム)の展示室に1/150サイズ(Nゲージ)のジオラマを公開しております。
このジオラマは、平成10年11月11日に当社が当時闘病生活にあった新田朋宏くんの「江ノ電の運転士になりたい」という夢の実現をお手伝いしたご縁で、朋宏くんのお父さん新田和久さんのご友人でおられる石井彰英さんからご寄贈いただいたものです。
このジオラマは、平成10年11月11日に当社が当時闘病生活にあった新田朋宏くんの「江ノ電の運転士になりたい」という夢の実現をお手伝いしたご縁で、朋宏くんのお父さん新田和久さんのご友人でおられる石井彰英さんからご寄贈いただいたものです。
寄贈先を探していた石井さんが当社への寄贈を決められたのは、「息子をジオラマの運転士にして欲しい」と熱望された新田さんの優しさに感動して、「ジオラマは朋宏くんが愛した江ノ電の利用者に見ていただくのが一番」とお考えになられたからです。
なお、まことに残念ながら新田朋宏くんは平成10年11月15日に亡くなられましたが、ジオラマ上を走る江ノ電の運転士としてこれからもご活躍されることでしょう。
ジオラマはボタン式になっており、1回押すとミニ江ノ電が1分20秒走行します。
江ノ島に来られましたら、どうぞ江ノ電の江ノ島駅展示室にお越し下さい。
江ノ島に来られましたら、どうぞ江ノ電の江ノ島駅展示室にお越し下さい。
この件、そういえばそういうことがあったと、記憶に残っていました。さらに調べると、当時のニュースがヒットしました。
運転士の夢、天国でかなえて…16歳で亡くなった少年に江ノ電から辞令交付
「江ノ電の運転士になりたい」。そんな夢を抱きながら1998年に先天性の拡張型心筋症で亡くなった新田朋宏さん=当時(16)=に、江ノ島電鉄(神奈川県藤沢市)の深谷研二社長が22日、江ノ島駅で運転士の「辞令」を発令、父親の会社員和久さん(56)=東京都大田区=に手渡した。 朋宏さんの遺影を首から提げて参加した新田さんは「息子の夢がかない、天国で喜んでくれていると思う。(天国に)辞令を届けたい」と笑顔で話した。
新田さんは、幼いころから鉄道ファンだった朋宏さんを連れて家族でよく江ノ電に乗車。朋宏さんは、海岸沿いや町中を縫うように走る江ノ電に魅せられ、運転士への夢を膨らませたという。
同じ心臓病で91年に妻も亡くしたが、新田さんは「息子の夢をかなえてあげたい」と江ノ電に要望。98年11月に江ノ電の計らいで朋宏さんが運転席に。コントロールレバーに触れ、つかの間の「運転士」気分を楽しんだ。だが4日後に朋宏さんは帰らぬ人に。
22日の「辞令」交付式では、新田さんの知人で塾講師石井彰英さん(53)=東京都品川区=が作った江ノ電の模型(ジオラマ)の「発車式」も実施。畳1畳ほどのジオラマには、新田さん家族も楽しんだ沿線風景が再現されており、石井さんが新田さんに相談して11月に寄贈した。
(共同通信 2008/12/22)
また、石井氏、北鎌倉の町並みのジオラマなども制作され、そして最新作が氏の生まれ故郷・大井町。大井町といえば、智恵子終焉の地・ゼームス坂病院のあったところで、同院のジオラマも制作、DVDでは2分弱、映し出され、光太郎智恵子にも触れて下さいました。
以前にもご紹介しましたが、ゼームス坂病院は、大正12年(1923)の創立。院長で智恵子の診察にあたった斎藤玉男は東京帝国医科大学を卒え、大正3年(1914)から翌年にかけ、ドイツ、アメリカに留学し、日本医科大学教授を経て、同院を開設しました。「学者としても一流で、人柄も温厚篤実の士として知られ、病院経営や精神衛生の制度面などから、多角的に積極的に発言」(『東京の市立精神病院史』昭和53年=1978、東京精神病院協会)したそうです。
昭和20年(1945)には、東芝大井病院と改称、心療内科は無くなりました。さらに同39年(1964)に東大井に移転し、現在の東芝中央病院に移行します。跡地には光太郎詩「レモン哀歌」を刻んだ詩碑が建てられています。
さて、ジオラマ。石井氏の幼少のみぎり、昭和30から40年ごろという設定だそうで、病院名は大井病院となっています。実際、この建物をご覧になっていたのですね。ある意味、うらやましいところです。
「高村光太郎さん 高村智恵子さんに捧ぐ」というテロップもつけて下さいました。ありがとうございます。
エンドロールの部分には、メイキング的な映像や、病院跡地の「レモン哀歌」碑も。
その他の部分も含め、あたたかみのあるジオラマに感心いたしました。緻密さを追究するあまり、無機質・非人間的な作も目にしますが、それと正反対に人々の息づかいまで聞こえてきそうでした(石井氏曰く「牧歌的」)。また、当方、石井氏より一回りほど後の生まれですが、幼い頃住んでいた東京多摩地区の府中本町駅付近などもあんな感じだったと思いながら、懐かしく拝見しました。南武線も茶色い電車でした。
なんと、2,000時間を要したそうで、50㌢程度のジオラマ50個ほどで成り立っているとのこと。しかし保管場所が確保できず、撮影しながら破棄したそうです。もったいない気もしますが、仕方がないのでしょう。
DVDに関しては、これまでも石井氏の活動をとりあげたというケーブルテレビ品川さんで紹介されるそうです。また、氏と電話でお話しさせていただきましたが、有効な活用法を模索されているとのこと。
ジオラマ自体もそうですが、ナレーション(ケーブルテレビのアナウンサーさんだそうです)や、BGM(石井氏とそのお仲間たちのオリジナルとのこと)も、あたたかみのあるいいものです。
ご興味を持たれた方、当ブログコメント欄までご連絡下さい。非表示も可能です。
【折々のことば・光太郎】
四月の雨がおれの耳の気圧をかへた おれは少し睡くなつて粘土の馬をこさへてゐる
詩「北島雪山」より 昭和4年(1929) 光太郎47歳
光太郎の書き残したものを読んでいると、時折、身体感覚の鋭敏さに驚かされます。木材と同じようにガラスにも縦横の目があるそうで、指の腹で触るとそれがわかるとか……。
この一節も、そうですね。標高の高低やトンネルなどで、気圧の違いを耳で感じることはありますが、天候によってもそれを感じるというのです。鈍感な自分には思いもよりませんでした。