途中の車窓からの風景。北アルプスの山々です。
周辺に観光に訪れている方も多かったようで、意外と車が混雑していましたが、午後3時近くなって到着。
まずは一通り、展示を拝見。
最初は、碌山荻原守衛に敬意を表し、本館であるレンガ造りの碌山館へ。重要文化財の「女」、光太郎がパリで粘土原型を見て、ぜひ日本に持ち帰るように勧めた「坑夫」など、守衛の彫刻作品が並んでいます。
裏手には光太郎詩碑。傍らに植えてくださった連翹がまだきれいに咲いていました。
種類によっては、桜もまだ残っていました。
杜江館では、守衛の絵画がずらっと並んでいました。自分では意外なところでしたが、守衛の絵画をまとめて観たのは初めてだったかもしれません。
第一展示棟には、光太郎や中原悌二郎、戸張孤雁ら、周辺人物の作品。光太郎の作品はいずれもブロンズですが、数が増えていました。ありがたいことです。
第二展示棟は、春季企画展 「美の概念 -具象の中の抽象性-」展を開催中。石井鶴三、喜多武四郎、基俊太郎といった、後の世代の彫刻家の作品が並んでいました。
午後3時半から、杜江館2階で研究発表フォーラム・ディスカッション「荻原守衛-ロダン訪問の全容とロダニズムの展開-」が開催されました。
3名の方から発表がありました。まずは同館学芸員の濱田卓二氏。文献から推定される、守衛のロダン訪問の時期、内容等について。続いて、碌山友の会会長を務められている幅谷啓子氏から、近代日本でのロダン受容史について。最後は、地元ご出身の彫刻家・酒井良氏が、実作者の立場から。それぞれ、光太郎にも触れる発表をしていただき、興味深く拝聴しました。
午後6時からは、グズベリーハウスにおいて、「碌山を偲ぶ会」。30名ほどが集まりました。
しばらく前から恒例となっている、光太郎詩「荻原守衛」の全員での朗読に続き、献杯。ビュッフェ形式で(連翹忌に倣ってだそうです)料理をいただきつつ、スピーチに花を咲かせ、交流を深めました。参会の皆様の、守衛への熱い敬愛の思いが感じられました。
名残を惜しみつつ、午後8時に閉会。一路、千葉の自宅兼事務所に帰りました。
光太郎ともども、日本近代彫刻の礎を作った碌山荻原守衛。その業績が、末永く語り継がれて行ってほしいものです。
【折々のことば・光太郎】
人情ぽいものよ、 願はくはおれの彫刻から去れ。 無ざんなまでに平然たるもの、 それが欲しい。
詩「偶作十五篇」より 昭和2年(1927) 光太郎45歳
ロダンへの崇敬から自らの彫刻の道筋を定めた光太郎ですが、単なる模倣に留まることを良しとしませんでした。また、師と仰ぐロダンの作品も、そのすべてを無条件に良しとはしませんでした。特に引っかかったのが、「人情ぽいもの」。いわくありげなポーズなどを指すのではないかと思われます。