東京調布市の武者小路実篤記念館さんからご案内をいただきました。
春の特別展 「武者小路実篤の出版事情 『白樺』『大調和』を中心に」
期 日 : 2017年4月29日(土)~6月11日(日)場 所 : 調布市武者小路実篤記念館 東京都調布市若葉町1-8-30
時 間 : 午前10時から午後4時
休館日 : 月曜日
料 金 : 大人 200円 小・中学生 100円
いつも「言いたいこと」に満ちあふれ、何かを書かずにはいられなかった実篤は、明治43(1910)年に同人雑誌『白樺』を創刊して以来、ほぼ切れ目なく主宰雑誌を持ち、出版依頼が途切れれば自ら主体となって出版社を興してでも執筆を続けました。
『白樺』は全160号、順調に発行し続けられたかのようにみえますが、内実はどうだったのでしょうか。今回の展覧会では、発行所や印刷所・製版所など、あまり注目されることの少ない「出版の裏方・裏事情」にもスポットを当てます。
また、2017年は、実篤が昭和2(1927)年に雑誌『大調和』を創刊して90周年目に当たります。雑誌をよりどころにユニークな公募展を生み出した『大調和』。生涯を通じて幅広い交友を持った実篤の、人脈の源泉の一つはここに見いだせると言えるでしょう。
そのほか、実篤の発案で作られた日本で最初の文庫本「村の本」や、自作を振り返る機会ともなった全集の刊行などを取り上げ、絶え間なく続いた実篤の出版活動をたどります。
『白樺』は全160号、順調に発行し続けられたかのようにみえますが、内実はどうだったのでしょうか。今回の展覧会では、発行所や印刷所・製版所など、あまり注目されることの少ない「出版の裏方・裏事情」にもスポットを当てます。
また、2017年は、実篤が昭和2(1927)年に雑誌『大調和』を創刊して90周年目に当たります。雑誌をよりどころにユニークな公募展を生み出した『大調和』。生涯を通じて幅広い交友を持った実篤の、人脈の源泉の一つはここに見いだせると言えるでしょう。
そのほか、実篤の発案で作られた日本で最初の文庫本「村の本」や、自作を振り返る機会ともなった全集の刊行などを取り上げ、絶え間なく続いた実篤の出版活動をたどります。
『白樺』、『大調和』ともに武者小路の主宰した雑誌で、光太郎が主要執筆者の一人でした。そんなわけで、チラシ表面の集合写真には光太郎も写っています。
後列左端にいる武者から一人おいて光太郎。智恵子と運命的な邂逅を果たした直後の撮影です。
光太郎、『白樺』には、明治43年(1910)11月の第1巻第8号から、大正12年(1923)年5月の第14巻第5号まで、多くの作品を寄せています。詩、評論、随筆、そして翻訳が多く、大正6年(1917)から翌年にかけては、連載も持っていました。アメリカの詩人、ウォルト・ホイットマンの「自選日記」、そして「ロダンの言葉」(これらは後に単行本化されました)です。『大調和』には、昭和2年(1927)から翌年にかけて、やはり詩や評論、随筆、翻訳などを寄せています。
その他、やはり武者が主宰した『生長する星の群』、『心』などの雑誌でも、光太郎は主要執筆者の一人でした。そんなわけで、昭和31年(1956)4月4日の光太郎葬儀では、武者が葬儀委員長を務めています。
おそらく今回の展示でも、光太郎にからむ内容となるでしょう。
関連行事として講演会が予定されています。
講演会 「『白樺』を支えた洛陽堂主人 河本亀之助」
期 日 : 2017年5月28日(日)場 所 : 調布市東部公民館 東京都調布市若葉町1丁目29番地21
時 間 : 午後1時30分から3時
講 師 : 田中英夫氏
『洛陽堂 河本亀之助小伝 損をしてでも良書を出す・ある出版人の生涯』
〈平成27年 燃焼社〉著者
『洛陽堂 河本亀之助小伝 損をしてでも良書を出す・ある出版人の生涯』
〈平成27年 燃焼社〉著者
料 金 : 無料
定 員 : 50名
申し込み : 往復葉書で記念館へ
『白樺』の版元が洛陽堂に決まったいきさつには、河本、武者小路公共【きんとも】・実篤兄弟を引き合わせた、楽之会【らくしかい】(高島平三郎主催)の存在がありました。
また、13年5ヵ月続いた『白樺』の発行は160号を数え、1回を除き欠号もなく順調に継続していたかのように見えますが、内実はどうだったのでしょうか。
河本をとりまく人間模様や、発行者側の事情を中心に語っていただきます。
また、13年5ヵ月続いた『白樺』の発行は160号を数え、1回を除き欠号もなく順調に継続していたかのように見えますが、内実はどうだったのでしょうか。
河本をとりまく人間模様や、発行者側の事情を中心に語っていただきます。
ぜひ足をお運びください。
【折々のことば・光太郎】
彫刻はおそろしい。 圓いものを圓く作る。 圓いものが果して圓いか。 僭越は罰せられる。
詩「偶作十五篇」より 昭和2年(1927) 光太郎45歳
本当にたまたまですが、この詩も雑誌『大調和』に発表されました。
丸い物の丸い形を再現するのが具象彫刻ですが、彫刻家が設定するその丸さは、ある意味彫刻家の捉えた丸さです。3Dプリンタならいざ知らず、まったく正確な再現ではありません。まぁ、3Dプリンタとて、ナノレベルで見れば正確な再現はできていないでしょう。ましてや人間の手で、造物主たる神のような作業を行おうという、そこが「僭越」、と、当方は解釈します。