まずはすでに始まっている展覧会の情報から。

コレクション選 新収蔵品展 ひびき合うコレクション【前期】

会 期 : 2017年4月8日(土)~5月28日(日)
会 場 : 札幌芸術の森美術館 札幌市南区芸術の森2丁目75番地
時 間 : 9:45~17:00
料 金 : 無料
休館日 : 月曜日

 札幌芸術の森美術館では、1990年の開館以来、寄贈や購入を通じてコレクションを着実に充実させ、現在では1,551点の作品を所蔵するにいたっています。そのコレクションをふりかえれば、彫刻、油彩、日本画、水彩、素描、版画、写真、工芸、写真、部族芸術と幅広いジャンルの作品を収集しています。なかでも、日本の近代彫刻をたどることのできる彫刻のコレクション、そして札幌出身の個人コレクターの寄贈による北海道絵画史を一望できるコレクションは特筆に値します。こうしたコレクションは、絶え間ない作品収集によって形作られています。美術館にとってコレクションはかけがえのない基礎資源であり、また美術館の歴史はコレクションを形成してきた歴史であるともいえるでしょう。
 
 これまで「札幌芸術の森美術館コレクション選」では、当館が収蔵する作品を継続的にご紹介してきましたが、その一方で、近年収蔵された作品をまとめて展示する機会はほとんどありませんでした。本展では、近年新しく収蔵された作品を中心に、また、師と弟子、盟友との切磋琢磨などが感じられる新収蔵作品とつながりの深い既存の収蔵作品とあわせて展示いたします。コレクションの共演をお楽しみください。

【出品作品】
 1. 鈴木武右衛門《シルバーペンダントのAisha》 砂岩、赤御影石、銀 2011年
 2. 佐藤忠良《智恵子抄のオリエ》 ブロンズ 1971年 [既収蔵作品]
 3. 笠井誠一《ボトルとミルク缶のある風景》 油彩、キャンヴァス 2012年
 4. 笠井誠一《ふいごのある卓上静物》 油彩、キャンヴァス 2008年
 5. 吉田芳夫《演技者Y(本田明二氏)》 ブロンズ 1982年
 6. 本田明二《けものを背負う男》 木(カツラ) 1982年 [既収蔵作品]
 7. 阿部国利《体内のリズム》 水彩、素描 2002年
 8. 阿部国利《崩壊するマスク》 油彩、キャンヴァス 1995年
 9. 矢崎勝美《愛のシリーズ2》 シルクスクリーン、オフセット、手彩色(吹付) 1972年
 10.矢崎勝美《愛のシリーズ3》 シルクスクリーン、オフセット、手彩色(吹付) 1972年


館蔵品のコレクション展です。収蔵品が多い館では、こういった形でローテーション的に展示品の入れ替えを行うことがよくあります。同館では光太郎の「薄命児男児頭部」(明治38年=1905)、「裸婦坐像」(大正6年=1917)を所蔵しており、それらもこうした形で出す機会があるのだと思われます。

今回、当方の注目は、光太郎を敬愛していた彫刻家、佐藤忠良の「智恵子抄のオリエ」。

「オリエ」は佐藤の息女で、女優の佐藤オリエさんです。佐藤はたびたびオリエさんをモデルに彫刻を制作していました。


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左はずばり「オリエ」(昭和24年=1949)、右は「冬のオリエ」(同41年=1966)。

「智恵子抄の」というのは、昭和45年(1970)に、TBS系テレビで放映された「花王愛の劇場 智恵子抄」で、オリエさんが智恵子役を演じたためです。ちなみに光太郎役は故・木村功さんでした。

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佐藤としては、自分が敬愛していた光太郎の妻をお嬢さんが演じたということで、感慨深いものがあったのではないでしょうか。

首都圏であれば観に行きたいところですが……。


美術館がらみでもう一点。光太郎の親友だった碌山荻原守衛を偲ぶ会です。 

第107回碌山忌 

期 日 : 2017年4月22日(土)
会 場 : 碌山美術館 長野県安曇野市穂高5095-1
時 間 : 10:30~
料 金 : 無料 (18:00からの「碌山を偲ぶ会」のみ参加費1,000円)
日 程 :
 10:30~     ミュージアム・トーク(碌山館)
 11:00~     墓参
 13:00~     ミュージアム・トーク(企画展・第二展示棟) 
 13:30~15:00 碌山忌コンサート(グズベリーハウス)
 15:30~17:15 研究発表フォーラム・ディスカッション 
          「荻原守衛-ロダン訪問の全容とロダニズムの展開-」(杜江館)
 18:00~     碌山を偲ぶ会(グズベリーハウス)

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昨年、「夏季特別企画展 高村光太郎没後60年・高村智恵子生誕130年記念 高村光太郎 彫刻と詩 展 彫刻のいのちは詩魂にあり」を開催してくださり、関連行事の講演会では当方に講師を務めさせてくださった碌山美術館さんの主催行事です。

毎年行っていたのですが、昨年は地域の会議と重なってしまい、欠礼。今年からまたお邪魔いたします。同館では、7/1(土)~9/3(日)には、夏期特別展「『ロダンの言葉』編訳と高村光太郎」、12/2(土)に美術講座「ストーブを囲んで 「荻原守衛と高村光太郎の交友」を語る」を開催してくださいますので、情報収集もかねていって参ります。

また、ネット上で詳細な情報が出ていないので全容が不明ですが、光太郎とも関わるはずですので、研究発表フォーラム・ディスカッションが非常に興味深く感じております。


それぞれお近くの方、ご都合のつく方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

護る者から詩は逃げて、 振りはらふ者に詩はまつはる。 こんなあまのじやくにはお構無(かまひな)しに、 おれはどしどし道をゆかう。

詩「「詩」」より 昭和2年(1927) 光太郎45歳

後に光太郎は、「詩は日記のようなもの」と発言しています。つまりは原稿用紙に向かって呻吟しながら作るものではなく、自然にできてしまうということでしょう。「振りはらふ者に詩はまつはる。」とは、そうした意味だと思われます。

だからといって、光太郎の詩が稚拙で無技巧というわけでもなく、発表する詩に対しては、かなり推敲を施した跡がみられます。