昨日、花巻高村光太郎記念会さん事務局の方が当方自宅兼事務所にいらっしゃいました。直接の用件としては、花巻高村光太郎記念館さんで来月から開催される企画展の資料をお貸しするためでしたが。併せて現状での課題、来年度の展望等、いろいろお話を伺いました。
まず現状。入館者数等伸び悩んでいるそうです。平成27年(2015)5月に、リニューアルオープンした同館ですが、その年は入館者数等順調に伸びたそうですが、昨年から今年にかけてはジリ貧的に落ち込んでいるとのこと。
立地条件的に花巻市街からかなり離れていること、すぐ近くに他の観光施設等がないこと、他にもいろいろ要因はあるとは思いますが、残念です。昨年行われた国体も入館者数には結びつかなかったそうです。追い打ちをかけるように、一度復活した在来の花巻駅から高村山荘行きの路線バスも今年度で廃止(途中の県立清風支援学校までの通常便は維持)。ますます厳しくなりそうです。
ただ、追い風もありそうです。記念館のある太田地区に、「(仮称)西南道の駅」の計画が進んでいます。これから用地買収だそうで、オープンはまだ先ですが、道の駅内に光太郎に関するコーナーを設けたりといったタイアップが考えられているとのことで、実現すれば記念館への新たな導線となることが期待されます。
智恵子の生家・記念館がある福島二本松には道の駅が二つあり、道の駅「安達」智恵子の里さんでは、智恵子情報コーナーの設置など、道の駅ふくしま東和さんでは、光太郎智恵子にちなむ「あだたら恋カレー」の販売などを行っているほか、いろいろと生家・記念館との連携を図っているようです。いずれ花巻もそういう方向に行ってほしいものです。
それから、まだ公式発表がないので詳細が書けませんが、記念館としての来年度の計画。
まず、こちらは現在進行中ですが、光太郎が暮らした山小屋(高村山荘)裏手の高台、通称「智恵子展望台」の整備。ここに住んでいた頃の光太郎が、ここから夜空に向かって「智恵子ーーー」と叫んでいたという証言が残っています。元々、簡素な東屋的なものはあったのですが、そちらが老朽化とのことで建て直し、さらに雑木を伐採したり刈ったりして、ビューポイントとしての整備を進めているそうです。当方、来月10日、盛岡に行く都合があり、その途中に立ち寄って、現状を見てきます。
それから企画展。日程はあくまで予定ですが、以下の通り。
4/14(金)~6/26(月)で、光太郎と花巻の温泉郷に関わる展示。大沢温泉さん、花巻温泉さんなど、花巻に点在する温泉をこよなく愛した光太郎。書き残された文章や、古写真類、それから温泉ではありませんが、山小屋で光太郎が使っていた浴槽が保存されており、その実物も展示されます。
9/15(金)~11/27(月)に、昨年も行った智恵子の紙絵の実物展示。関連行事的に映画「智恵子抄」などの上映も考えているそうですが、そのあたりは未定です。
12/8(金)~2018年2/26(月)には、市内の他の文化施設、花巻市博物館さんや新渡戸稲造記念館さんなどと共同で、統一テーマによる同一時期企画展開催。光太郎記念館さんでは、通常展示していない書の展示を考えているとのことです。
それぞれまた近くなって詳細が出ましたら、またお伝えいたします。
それにしても、入館者数等伸び悩み、非常に残念です。リニューアルに伴い、非常に充実した施設ですし、併設の光太郎が暮らした山小屋・高村山荘、そして整備中の智恵子展望台など、見どころの多い場所です。ぜひ足をお運びください。
【折々のことば・光太郎】
ありがたう、フランス わけのわかるこころといふものが どんなに人類を明るくするか 朝のカフエ オオ レエをついでくれた 一人のマダムのものごしにさへ ああ、君はそれを見せてくれた
詩「感謝」 大正15年(1926) 光太郎44歳
これで全文の短い詩です。社会矛盾にみちた日本での暮らしの中で、20年近く前の、芸術に関する考え方や人間としての生き方に目を開かせてくれたフランスでの日々に思いを馳せています。
ところで大正時代にカフェ・オ・レについて記した文学作品、というのも少ないような気がしますが、どうでしょうか。
ところで大正時代にカフェ・オ・レについて記した文学作品、というのも少ないような気がしますが、どうでしょうか。