群馬から展覧会情報です。

太田市美術館・図書館開館記念 「未来への狼火」

期 日 : 2017年4月26日(水)~7月17日(月・祝)
会 場 : 太田市美術館・図書館 群馬県太田市東本町16番地30
時 間 : 午前10時~午後6時 ※展示室への入場は午後5時30分まで
休館日 : 月曜日 (ただし祝日の7月17日は開館)
料 金 : 一般800円、学生・団体640円、中学生以下無料

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地元の詩人・清⽔房之丞の言葉を手がかりに、 太⽥の風土に育まれてきた創造の遺伝子を発見する
2017(平成29)年4月、太田市美術館・図書館は、「まちに創造性をもたらす、知と感性のプラットフォーム」として、「創造的太田人」を基本理念に、太田で育まれてきたものづくりの英知を継承しながら、市⺠によるこれからのまちづくりの拠点となることを目指してグランドオープンします。
現在、北関東随⼀の工業都市として知られる太田市の土台を築いたのは、1917(大正6)年5月、元海軍機関大尉の中島 知久平を中心に設立された飛行機研究所でした。第二次世界大戦後、GHQによって解体された中島飛行機株式会社を源流に、日本屈指の航空機生産技術を基礎に創立した富士重工業株式会社(2017年4⽉より、株式会社SUBARU)は、「ものづくり のまち」太田を象徴する存在です。
それでは、工業都市としての顔以外に、太田にはどのような風景が広がっているでしょうか? さらにさかのぼる1903(明治36)年、太田に生まれ、田園詩人と称されたのが清水房之丞です。彼は最初の詩集『霜害警報』(1930年)で、「桑が自分の⼦の樣に可愛いいんだ/桑が黑くなれば俺逹まで口がひ上がることになるんだ/村の俺逹の狼火をあげよ う」とつづりました。そこで描かれたのは、冬の霜害に苦しみながらも、大切に桑を育てていたひとたち。高村光太郎や 萩原朔太郎といった稀代の詩人とまじわりながら、郷土で詩を書くことに心を傾けた清水房之丞の仕事は、この風土で生きることへの強い誇りを感じさせます。
開館記念展では、「風土の発見」「創造の遺伝⼦」「未来への狼火」をキーワードに、こうした歴史的風土のなかで生まれた絵画、工芸、写真、映像、詩、歌など、多ジャンルのアーティストの作品を新作もまじえてご紹介します。さらには、 市民と共同のプロジェクトも実施、それらを通してわたしたちが未来を展望するための狼火をたちあげます。
「創造的太田人」とともに歩む、太田市美術館・図書館の挑戦が本展からはじまります。

出品作家

淺井裕介、飯塚小玕齋、石内都、片山真理、清水房之丞、正田壤、林勇気、藤原泰佑、前野健太(9名/五十音順)

清水房之丞(しみず・ふさのじょう)
詩人。1903年生まれ、1964年死去。群馬県太田市(旧・新田郡沢野村)出身。群馬師範⼆部卒。群馬県内で小学校教師をつとめ、佐藤惣之助の「詩之家」に参加。「田園詩人」と称され、詩集に『霜害警報』(1930 年)をはじめ『青い花』、『炎天下』などがある。萩原朔太郎や高村光太郎ら稀代の詩人とも交わりながら 活動、詩誌『上州詩人』や『青馬』の刊行も行い、群馬県内の詩の発展に尽力。本展では詩集、詩誌を展示。


太田の郷土の偉人ということで、詩人の清水房之丞に関する展示がなされます。上記紹介にあるとおり、光太郎と交流のあった詩人でした。

『高村光太郎全集』には、光太郎から清水宛の書簡が3通、そして清水の詩集『炎天下』(昭和17年=1942)の序文が掲載されています。

また、その後、光太郎から清水宛の書簡3通が新たに見つかり、当会顧問・北川太一先生と当方の共編『光太郎遺珠①』(平成18年=2006)に収めました。

それから、清水が編集・発行にあたった詩誌『上州詩人』の第17号(昭和10年=1935)。こちらにはアンケート「上州とし聞けば思ひ出すもの、事、人物」があって、光太郎の回答も掲載されています。これも『高村光太郎全集』には漏れていたので、やはり『光太郎遺珠①』に収めました。

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光太郎の回答は「上州と聞けば赤城山 高橋成重、萩原恭次郎」。「高橋成重」は「高橋成直」の誤植と思われます。「高橋成直」は、前橋出身の詩人・高橋元吉のペンネームでした。萩原恭次郎も現在の前橋出身の詩人です。

さらに『上州詩人』のこの号には、清水、或いはやはり『上州詩人』に関わっていた松井好夫に宛てた書簡の抜粋も掲載されていました。松井の翻訳になる『ボオドレエル詩抄』の受贈礼状です。

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このように、光太郎と関わりのあった清水に関する展示がなされます。『上州詩人』も並ぶようですし、光太郎が序文を書いた『炎天下』も出品されるのではないでしょうか。

他は現代アート系の作家さんの作品ですが、ぜひ、足をお運びください。


【折々のことば・光太郎】

神さまから言ひつかつた事をするのは当りまへだ ほんとにさうだ、田舎の処女(ピユセル)よ
詩「聖ジヤンヌ」より 大正15年(1926) 光太郎44歳

ジャンヌ・ダルクをモチーフとした詩です。そこで、「神さまから言ひつかつた事をする」となっています。光太郎はクリスチャンではありませんでしたが、天から与えられた使命を果たす、的な部分ではジャンヌ・ダルクに共感を覚えていたようです。

この詩が作られた同じ時期に、築地小劇場でジャンヌを主人公としたバーナード・ショー原作の「聖ジヨオン」が上演され、それを見た光太郎は「ジヨオンに自分は惚れてゐるやうだ。今日はその声をききにゆかう。」と記しました。

その悲惨とも言える末路に、自分や智恵子の未来の姿も重ね合わせていたふしも見られます。この詩の末尾は「火あぶりか うゑ死にか ああ、だが何とうつとりさせる声だらう」となっています。