一昨日、昨日と、このブログでは、最近入手した古資料の光太郎編、光雲編をご紹介して参りました。智恵子編もありますが、またネタ切れになってきたら(笑)ご紹介いたします。

今日は岩手花巻からの情報を。

まず、市で発行しているPR誌『花日和』の今月発行の2017春号。光太郎の名が2カ所に現れます。

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最初は光太郎も愛した大沢温泉さんの紹介の中で。

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「多くの文化人が愛した温泉」という項で、以下の通り。

 大沢温泉は、多くの文化人に愛された温泉としても知られている。
 宮沢賢治もその一人。幼い頃から父に連れられ、花巻仏教会の講習会場であった大沢温泉に足を運んでいた。花巻農学校の教師時代には、教え子たちを引き連れよく湯浴みに訪れていたという。
 詩人で彫刻家の高村光太郎は、疎開先として花巻に滞在していた際、大沢温泉を気に入り幾度か宿泊。「ここは本当の温泉の味がする」と、とても気に入ったそうだ。近年何度か利用していたのは、書家の相田みつを。大沢温泉の入口にある看板の“ゆ”の文字は相田みつをに書いてもらったものを複写したものだ。オリジナルは山水閣内に飾っている。

大沢温泉さん、当方も数え切れないほど泊めていただきまして、今年も5月の高村祭の折りに予約を入れてあります。

その頃、花巻高村光太郎記念館さんで、光太郎と花巻の温泉をテーマとした企画展が開催されます。そのための打ち合わせで、明日は記念館のスタッフ氏が当方自宅兼事務所にいらっしゃいます。詳細は後ほど。

花巻高村光太郎記念館さんといえば、昨年から手作り感あふれる記念館通信『メトロポール』を発行されています。今年に入って、花巻市さんのサイトで閲覧できるようになりました。今月発行の第3号がこちら

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記念館に隣接する、光太郎が戦後の7年間を過ごした山小屋(高村山荘)。春とはいえ、まだまだ雪深い様子が見て取れます。


再び『花日和』。5月の高村祭の案内も載っていました。

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こちらもまた近くなりましたら詳細をご紹介します。

ところで『花日和』。花巻市内の観光案内所などで無料配布されていますが、首都圏でも入手可能。東銀座にある岩手県のアンテナショップ「いわて銀河プラザ」さんなどに置いてあるはずです。

お近くにご用のある方、ぜお立ち寄りのほど。


【折々のことば・光太郎】

私達の最後が餓死であらうといふ予言は、 しとしとと雪の上に降る霙(みぞれ)まじりの夜の雨の言つた事です。

詩「夜の二人」より 大正15年(1926) 光太郎44歳

と言っているわりには、高級な茶葉を常用したり、西洋風の朝食を摂っていたりと、矛盾していた光太郎智恵子。「武士は食わねど高楊枝」でしょうか。