一昨日の『朝日新聞』さんの読書面で、みすず書房さん刊行、土田昇氏著『職人の近代――道具鍛冶千代鶴是秀の変容』が紹介されました。
(書評)『職人の近代 道具鍛冶千代鶴是秀の変容』 土田昇〈著〉
やわらかにして鋭い。独特の文体は、刃物店の3代目店主として父から聞き知った逸話の下地に、あるスタイルを追求する意志が加わったものだろう。刀工の家に生まれた大工道具鍛冶(かじ)の名工・是秀(これひで)の、デザイン性の高い切出(きりだし)小刀のように。 大工の繊細な感覚への挑戦、木彫家に彫刻刀を見せ丸一日の対座、と丁々発止の真剣勝負が面白い。名人は名工を理解する。手練(てだ)れあっての道具だ。しかし近代化は職人に、よい仕事ではなく利益追求を求める。弟子たちに起きた悲劇は、職人の倫理と近代化の矛盾の深さを物語っている。
是秀は近代化を拒否してはいない。師の遺言もあり、日本古来の玉鋼に拘泥せず、素材として優れた洋鋼を用いた。しかし後にデザイン切出をつくったのは、博物館で見たアイヌの「木製のペーパーナイフのような」もの(儀礼具の捧酒箸〈イクパスイ〉か)に触発されて、と語る。実用具と芸術が乖離(かいり)する時代に、彼はあえてオブジェ的な小刀を作製した。
中村和恵(明治大学教授)
主要紙の中では、朝日さんがはじめて取り上げたのではないかと思われます。さすがですね。
光太郎と交流があり、その日記にも名が出てくる千代鶴是秀ですが、高村光雲門下で光太郎と親しかった平櫛田中とも接点がありました。朝日さんの書評に「木彫家に彫刻刀を見せ丸一日の対座、と丁々発止の真剣勝負」とあるのがそれです。
同書によれば、おそらく明治末頃、田中が雑誌に「日本の彫刻刃物は切れ味のよいものがなく、自分は西洋の手術用メスを研ぎ直して仕上げに使っている」的な発言を載せたそうです。それを読んだ是秀が激怒、何本かの彫刻刀を作り、田中の元を訪れます。田中は自分の発言による訪問とすぐに察し、無言のまま是秀の目の前で、持ち込まれた彫刻刀を使って木を削っては研ぎ、削っては研ぎ、丸一日、その対峙が続きました。結局、田中はその出来に脱帽、自分の彫刻刀すべてを是秀に作ってほしいと頼みますが、是秀は拒否します。是秀曰く「日本の鍛冶屋が作ったものでも、きちんとしたものがあるということを知ってもらいたかっただけ」。粋といえば粋ですね。
ところで、田中といえば、今週末、テレビ東京系の「美の巨人たち」で、田中の代表作「鏡獅子」が取り上げられます。
美の巨人たち 平櫛田中『鏡獅子』彫刻家の信念と覚悟▽5代目尾上菊之助の思い
テレビ東京 2017年3月25日(土) 22時00分~22時30分BSジャパン 2017年4月19日(水) 23時00分~23時30分
6代目尾上菊五郎演じる新歌舞伎十八番を捉えた『鏡獅子』。明治・大正・昭和を生き抜いた彫刻界の巨人・平櫛田中が着想から完成までなんと22年をかけたこの作品に迫ります。
6代目尾上菊五郎演じる新歌舞伎十八番[春輿鏡獅子]。今回の作品は、その一場面を捉えた高さ2mの木造彫刻『鏡獅子』。国立劇場のロビーに展示されています。作者は彫刻家・平櫛田中(ひらくしでんちゅう)。今にも動き出さんばかりの躍動感!しかも裸の姿まで彫り上げています。これこそが田中の頂点を極めた作品だといいます。
田中が作品に挑んだのは65歳。完成は22年後。そこまで歳月をかけたのには、彫刻家と歌舞伎俳優の深い絆と信頼が。知られざる『鏡獅子』誕生物語に迫ります。さらに『鏡獅子』を何度も演じている、5代目尾上菊之助が作品と対面。“6代目”を前に感じたその思いを語ります。
ナレーター 小林薫 蒼井優
右下の画像は、今月12日まで開催されていた小平市平櫛田中彫刻美術館特別展「ロダン没後100年 ロダンと近代日本彫刻」会場です。ちなみにこの「鏡獅子」、田中の故郷、岡山県井原市のゆるキャラ「でんちゅうくん」のモチーフにもなっています。
光雲や光太郎、是秀に触れられるといいのですが……。
是非ご覧ください。
【折々のことば・光太郎】
ちきしやう、 造形なんて影がうすいぞ。 友がくれた一束の葱に 俺が感謝するのはその抽象無視だ。
詩「葱」より 大正14年(1925) 光太郎43歳
木彫で自然物を作ってみても、やはり一束の葱の持つ自然の精巧な造型力にはかなわない、という感懐が吐露されています。光太郎の木彫に関してはそうでもないような気がするのですが……。