昨日は、千葉市の千葉県立美術館さんに行っておりました。
光太郎の実弟にして、鋳金分野で人間国宝に認定された高村豊周の作品が展示されているという情報を得ていたためです。もう少し早く行きたかったのですが、昨日になってしまいました。
通常、自宅からは車で1時間ほどですが、3連休中日、さらに春のぽかぽか陽気ということもあったのでしょう、京葉道などで交通集中による渋滞が発生しており、若干時間がかかりました。
所蔵品展的な展示で、「北詰コレクション メタルアートの世界―黎明期の作家を中心に―」。こちらで豊周の作品が展示されているとのことでした。「北詰コレクション」は、千葉県印西市にあった「メタル・アート・ミュージアム 光の谷」が平成26年(2014)に閉館し、そちらの所蔵品がこちらに移ったものです。
そちらの会場の手前では、やはり所蔵品展的な「コレクション名品展」が開催されていました。
すると、光太郎のブロンズも3点出品されていました。「十和田湖畔の裸婦群像のための中型試作」昭和28年=1953)、「十和田湖畔の裸婦群像のための手習作」(同27年=1952)、「猪」(明治38年=1905)です。同館では光太郎ブロンズの比較的新しい鋳造のものを6点収蔵していて、そのうちの半分ということになります。
これら3点、一昨年、勝浦市で開催された「第39回千葉県移動美術館 高村光太郎と房総の海」で拝見して以来のご対面でした。
他にもルノワールや梅原龍三郎の洋画、船越保武や高田博厚の彫刻、東山魁夷の日本画などが並んでいます。
そして、「北詰コレクション メタルアートの世界―黎明期の作家を中心に―」。
豊周の作品は3点並んでいました。大正9年(1920)の「朱銅素文花瓶」と「流れ筋文花瓶」、昭和31年(1956)の「朱銅面取四耳花入」。いずれも見事でした。特にチラシにも画像が使われている「流れ筋文花瓶」は、単純化された全体のフォルムの中に、三筋入れられた「流れ筋文」がアクセントとなり、見ていて飽きない感じです。
「朱銅面取四耳花入」は、直線的な装飾を施したモダンアート風の作品。もう少し口が広ければ、連翹忌会場で光太郎遺影の前にレンギョウを挿すのに使いたいと思いました。もっともここまでの大きさの豊周作品を購入するほどの財力はありませんが(笑)。
他にも、光雲・豊周・光太郎と関わる作家の作品がたくさん並んでいました。岡崎雪声は、光雲が主任となって制作に当たった「楠木正成銅像」などの鋳造にあたった人物、大島如雲は東京美術学校での光雲の同僚で、光雲とのコラボ作品もあります。津田信夫は豊周の師、丸山不忘は豊周と同級で、豊周の工房にいて、光太郎作品の鋳造にもあたりました。
4月16日(日)まで開催されています。ぜひ足をお運びください。
【折々のことば・光太郎】
けれどこの神神しい山上に見たあの露骨な獣性を いつかはあなたもあはれと思ふ時が来るでせう、
詩「狂奔する牛」より 大正14年(1925) 光太郎43歳
大正2年(1913)の、ひと月を智恵子と過ごした信州上高地での思い出を謳った詩です。当時、上高地では牛の放牧が行われており、発情期の牡牛の荒ぶる姿を通し、自然を賛美しています。
新品のパソコンが届き、ようやく通常の投稿ができるようになりました。そこで、このコーナーも復活させます。