一昨日、町田市民文学館ことばらんどさんで開催中の展示「野田宇太郎、散歩の愉しみ-「パンの会」から文学散歩まで-拝見し、その後、JR横浜線、中央線、西武線と乗り継いで、小平市に向かいました。

向かった先は小平駅前のルネこだいら(小平市民文化会館)さん。

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こちらで、小平市平櫛田中彫刻美術館特別展「ロダン没後100年 ロダンと近代日本彫刻」の関連行事「音楽と巡るロダンの世界」が開催されます。

先月の関連行事は同館学芸員の藤井明氏による美術講座「ロダンと近代日本彫刻」で、会場は同館近くの放送大学東京多摩学習センターさんでしたが、今回は音楽コンサートを含むということで、こちらが会場でした。

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平櫛田中が晩年を過ごした地ということで、館内にも田中彫刻が。岡倉天心の像です。平成25年(2013)に「生誕130年 彫刻家高村光太郎展」を巡回して下さった、岡山井原市の田中美術館さんの前にも、同じ像が立っていました。大きさが違うようですが。

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さて、第1部は日本大学芸術学部の髙橋幸次教授によるご講演。題して「ロダン歿後100年。本当のロダンをご存知ですか?」。

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豊富な画像をプロジェクタで投影しつつ、ロダンの人となり、彫刻上の特質、具体的な作品などについて、熱のこもったお話でした。ただ、残念なことに、予定時間をオーバーしてしまい、光太郎がからむ「日本のロダニズム」についてのお話がほとんど無くなってしまいました。終演後、髙橋先生、反省の弁を口にされていましたが、よくあることです。当方も経験があります(笑)。

第2部は、ソプラノの斉藤智恵美さん、ピアノの竹内綾さんのかわいらしいお二人組ユニット「ラ・ペスカ」による演奏。ユニット名の「ラ・ペスカ」はイタリア語で「桃」。ちなみにお二人は小中高とご一緒だったそうで、その小学1年生の時の学級名「1年桃組」にちなむとのこと。

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前半は「ロダンと同時代のフランス音楽を中心に」ということで、ピアノソロ、ピアノ伴奏による歌唱を織り交ぜ、ドビュッシー、サン=サーンス、フォーレ、ラヴェル、グノー。当方の大好きなラインナップでした。ここにサティと、一世代後ですがプーランクが入れば言うことはありません(笑)。

「ロダンと同時代」ということは、光太郎とも同時代なわけで、光太郎、このメンバーの中では特にドビュッシーを高く評価していました。

ロマン・ロランの書いた「クロオド デユビユツシイの歌劇-ペレアス、メリザンド-」の翻訳(明治44年=1911)も手がけていますし、親友だった陶芸家バーナード・リーチのデッサンやエッチングを褒めるのにドビュッシーを引き合いに「其の優雅な美しさを持つ或作品にはドビユツシイの「アラベスク」の美を思はせるものもある」(「リーチを送る」大正9年=1920)と書いています。また、昭和8年(1933)に岩波書店から刊行された『岩波講座世界文学7 現代の彫刻』の中では、ロダンの出現にからめ、19世紀後半のフランスの芸術界を評して「フランスそのものが自分の声を出しはじめたのである」とし、「音楽に於けるドビユツシイ、詩に於けるマラルメ、皆その意味に於いてフランス再発見の声である」と書いています。

また、光太郎は明治末に「詩歌と音楽」という評論を2篇書いています。一つ目は明治43年(1910)発行の雑誌『趣味』に掲載、もう一つは同年の雑誌『常盤木』に発表しました。自身の滞仏体験を元に、ヴェルレーヌやボードレールの詩に曲を付けた音楽などについて述べていますが、この中でもドビュッシーを高く評価し、ラヴェルやグノー、フォーレにも言及しています。

その他、朋友・石井柏亭の絵を評するのにサン=サーンスの音楽を用いたり、フォーレは「パンの会」を謳った詩に登場させたりもしています。詩といえば、一昨日のプログラムには入っていませんでしたが、やはりフランスの一世代前のベルリオーズは繰り返し詩で扱っています。

だから、というわけではありませんが、当方、近代フランスものは大好きで、フォーレやグノー、プーランクの作品は自分の音楽活動でも扱いました。そんなわけで、大満足でした。

後半は、演奏者お二人もおっしゃっていましたが、ちょっとこじつけっぽく(笑)「ロダンの作品が置かれている国へ、世界を巡る旅」。こちらは楽しい演奏でした。


小平市平櫛田中彫刻美術館さんの特別展「ロダン没後100年 ロダンと近代日本彫刻」そのものは、今週末まで。ぜひ足をお運びください。


さて、美術館・文学館関係の皆さん。光太郎をメインにする企画展等の場合、こうした関連行事での講演者(当方を含め)、演奏家、朗読家の方々は当会会友としてたくさんご紹介できます。ご用命下さい。


折々のことば・光太郎】

なんのかんのと言つてゐるうちに どこもかもまつ青ではないか

詩「新茶」より 大正12年(1923) 光太郎41歳

「新茶のはしりがもう出たね」で結ばれるこの詩、五月の風景を「どこもかもまつ青」と謳っています。

3月となりました。比較的温暖なここ房総半島でも、さすがにまだ「どこもかもまつ青」とは行きませんが、庭の木々や書斎の鉢植えには、続々と新芽が出ています。「山笑う」季節、そして「どこもかもまつ青」も、もうすぐですね。

一昨年、碌山美術館さんで戴いてきたヤマブキ。

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昨年、二本松のレモン忌でいただいたグロキシニア。

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光太郎終焉の地・中野アトリエの庭に咲き、光太郎が「かわいらしい花」だと愛で、その葬儀の際には一枝コップに挿され、「連翹忌」の由来となった連翹から株分けして貰ったもの。

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何のゆかりもありませんが(笑)、アジサイ。

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ミモザは既に花が。

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ユキヤナギも咲き始めました。

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