唯一定期購読している雑誌、『日本古書通信』さんの今月号が届きました。その中で、以下のイベントが紹介されていました。

展示 検閲官 ―戦前の出版検閲を担った人々の仕事と横顔

期 日 : 2017年1月23日(月)~4月22日(土)
場 所 : 千代田区立千代田図書館9階 展示ウォール
 千代田区九段南1-2-1千代田区役所9階・10階
時 間 : 月~金 午前10時~午後10時 土 午前10時~午後7時  日・祝 午前10時~午後5時
休館日 : 2月25日(土曜日)~27日(月曜日)、3月26日(日曜日)
料 金 : 無料
主 催 : 千代田区立千代田図書館
協 力 : 浅岡邦雄氏 牧義之氏 村山龍氏 安野一之氏(千代田図書館「内務省委託本」研究会)
      人首文庫、県立長野図書館

戦前の日本では、中央官庁の一つであった内務省が出版物の検閲を行っており、全国で出版されたさまざまな書物が内務省に納本されていました。それらの書物を手に取って発売頒布の可否を決定していたのが、警保局図書課の検閲官たちです。
近年、出版検閲に関する研究が進み、制度としての側面は徐々に明らかになってきた一方で、個々の検閲官についての研究はほとんど報告されていません。それは、資料がそもそも少なく、また、彼らがどのような人生を送っていたのか、『出版警察報』などの内部文書からではわからないためです。
今回の展示では、新発見の資料とこれまで断片的に存在していた情報をつなぎ合わせることで、検閲官の実像に迫ります。図書課の人員体制や業務分担など、検閲官の全体像をパネルで解説し、関連する書籍を展示・貸出します。また、4人の検閲官をとりあげ、仕事内容や異動・昇進などのキャリアパス、さらにプライベートを含めて人物像を紹介し、彼らの仕事と横顔を今に伝える貴重な資料をケースにて展示します。

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関連行事

併設展示 県立長野図書館所蔵 出版検閲関連資料

検閲によって禁止や削除などの処分を受けた出版物は、各地の公共図書館でも所蔵している場合がありました。処分が決裁されるよりも先に市場へ流通し、図書館が購入したためです。処分についての情報は、内務省から警視庁へ、そして各地方の警察から管轄の図書館へ主に電話を使って通達されました。それを受けて、図書館では該当出版物の自主的な閲覧制限、ページの切り取り、警察への現物の引き渡しなどが行われていました。今回展示する県立長野図書館の事務文書綴り(4種9点)からは、戦前の公共図書館が検閲制度とどのように向き合っていたのか、その一端を読み取ることができます。


 講演会「検閲官の実像にせまるⅠ・Ⅱ」

検閲官の実像にせまるⅠ

 第一部 検閲官の実像にせまるⅠ ―エリートとたたき上げ―
 第二部 図書館と出版検閲 県立長野図書館の事務文書から
戦前の検閲制度に関する調査・研究が進む中で、現場で働いていた内務省警保局の検閲官の実像も少しずつわかってきました。今回の展示でもとり上げた土屋正三らエリート官僚と、図書課内のたたき上げであった安田新井など、個々の検閲官に焦点を当てて、調査から見えてきた彼らの実像について解説します。また、戦前の図書館と検閲制度がどのような関係の中にあったのか、県立長野図書館の事務文書から読み解いて行きます。
講 師 : 安野一之氏(NPO法人インテリジェンス研究所事務局長)
        牧義之氏(長野県短期大学多文化コミュニケーション学科助教)
        槌賀基範氏(県立長野図書館資料情報課情報係主任)
日 時 : 2017年2月11日(土曜日・祝日)午後2時~4時(午後1時30分開場)
場 所 : 千代田区役所4階 401会議室
定 員 : 80名(事前申込制・参加無料・先着順) 終了しました。


検閲官の実像にせまるⅡ ―文学青年だった検閲官―

警察出身者が多い検閲官の中で、佐伯郁郎と内山鋳之吉は文学部卒という異色の経歴を持つ人物です。彼らは職務として検閲する一方で、佐伯は詩人、内山は演劇人という顔も持っていました。検閲する側でありながら、時に検閲される側にもなった彼らの足跡を追いながら、一個の人間としての検閲官像を浮かび上がらせます。
講 師 : 安野一之氏(NPO法人インテリジェンス研究所事務局長)
         村山龍氏(慶應義塾大学非常勤講師)
日 時 : 2017年3月4日(土曜日)午後2時~4時(午後1時30分開場)
場 所 : 千代田図書館9階 特設イベントスペース
        ※都合により会場を変更したため、チラシの表記と異なります。ご注意ください。
定 員 : 70名(事前申込制・参加無料・先着順)
 千代田区立図書館の貸出券をお持ちの方対象


タイトルを見て、ぱっと頭に浮かんだのが、佐伯郁郎。戦前から光太郎と交流がありました。果たして佐伯に関する展示、講演も入っています。

当方、佐伯の生家に設置された史料館・人首文庫さんにお邪魔したことがあり、その前後、書簡や詩稿、古写真のコピーなど、光太郎関連のさまざまな資料をご提供いただいております。今回の企画にも協力なさっていますね。

以前にも書きましたが、『智恵子抄』(昭和16年=1941)刊行などの陰に、佐伯の尽力があったのではないかと、当方は考えています。

『智恵子抄』には詩や短歌の他に、書き下ろしではありませんが散文も三篇収められています。そのうち昭和15年(1940)の『婦人公論』に載った「智恵子の半生」(原題「彼女の半生-亡き妻の思ひ出」)には、以下の記述があります。

美に関する製作は公式の理念や、壮大な民族意識といふやうなものだけでは決して生れない。さういふものは或は製作の主題となり、或はその動機となる事はあつても、その製作が心の底から生れ出て、生きた血を持つに至るには、必ずそこに大きな愛のやりとりがいる。それは神の愛である事もあらう。大君の愛である事もあらう。又実に一人の女性の底ぬけの純愛である事があるのである。

大君=天皇と、一人の女性を同列に並べたこの表現、当時の社会状況を考えると、読みようによっては不敬のそしりを免れないものです。

また、詩篇の中には公然と愛欲や性行為を謳ったものも含まれ(健康的な感じなのですが)、これも発禁対象とされてもおかしくありません。

しかし、『智恵子抄』は戦時にも関わらず、終戦までに13刷もの増版を重ねました。当方にはその陰に、光太郎を敬愛していた佐伯の影がちらついて見えるのですが、どうでしょうか。


講演は千代田区立図書館の貸出券をお持ちの方対象らしいので聴けませんが、展示の方は拝見に伺おうと思っておりますし、佐伯についてももう少し調べようと思っております。

出品目録はこちら。皆様も是非どうぞ。


【折々のことば・光太郎】

止め度なく湧いて来るのは地中の泉か こころのひびきか しづかにして力強いもの 平明にして奥深いもの 人知れず常にこんこんと湧き出るもの ああ湧き出るもの 声なくして湧き出でるもの 止め度なく湧き出でるもの すべての人人をひたして すべての人人を再び新鮮ならしめるもの しづかに、しづかに 満ちこぼれ 流れ落ちるもの まことの力にあふれるもの
詩「湯ぶねに一ぱい」より 大正5年(1916) 光太郎34歳

「地中の泉」=「温泉」ですが、とめどなく湧き出るそのさまを、自らの詩にも仮託しています。自らの詩も温泉のように、人々の癒しや活力たらんことを願っていたのでしょう。