昨年暮れにATV青森テレビさんで製作された特別番組「「乙女の像」への追憶~十和田国立公園指定八十周年記念~」を録画したDVDが、同局から送られてきまして、早速拝見しました。

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実質25分の番組で、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」建立の背景を紹介するもの。当方も製作に協力させていただきました。

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進行役は同局アナウンサーだった川口浩一氏。この番組を最後に退社されたそうです。十和田湖奥入瀬観光ボランティアの会さんが、一昨年刊行された書籍『十和田湖 乙女の像のものがたり』にもご執筆なさっています。

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ナレーションは佐藤香アナウンサー。

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ブログにこの番組についての御記述もなさっています。

「乙女の像」は、元々、十和田湖周辺の国立公園指定15周年記念として、彼の地を広く紹介した明治の文豪で、光太郎とも面識のあった大町桂月、インフラ整備に功績のあった明治末から大正初めの青森県知事・武田千代三郎、当時の法奥沢村長・小笠原耕一の三氏を顕彰するモニュメントとして計画されました。

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計画時の知事は、太宰治の実兄・津島文治。

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太宰つながりで佐藤春夫が光太郎との仲介にあたりました。

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こうした経緯がわかりやすく説明されていました。

そして、光太郎。花巻や東京ロケの映像、古写真、ブリヂストン美術館制作の美術映画「高村光太郎」からの動画、乙女の像除幕式の16㍉フィルムなどをふんだんに使い、光太郎の姿が浮き彫りにされていきました。

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智恵子にも触れて下さいました。

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関係者の証言も豊富。大町桂月の令孫・芳章氏、当会顧問の北川太一先生、花巻時代の光太郎を知る高橋愛子さん、像の制作場所だった中野アトリエの現所有者・中西利一郎氏など。

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当方も15秒ほど出演、締めのコメント。

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乙女の像は、光太郎が生涯を掛けて追い求めた美とか愛とかの象徴、そうすると、智恵子の顔を持たざるを得ない、的な。おいしいところを担当させていただきました(笑)。

番組自体の締めは、光太郎詩「十和田湖畔の裸像に与ふ」(昭和29年=1954)。

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青森だけでの放映では残念でしたが、4月4日(火)の午後11時から、系列のCS放送・TBSニュースバードさんでオンエアされるそうです。また近くなりましたらご紹介します。

十和田湖では昨日から「十和田湖冬物語」が始まり、乙女の像のライトアップが為されています。足をお運びの上、像に込められたさまざまな人々の思いを偲んでいただきたいものです。


【折々のことば・光太郎】

一人にめざめよ 一人の力を尊び 一人の意味をしのべ

詩「群衆に」より 大正3年(1914) 光太郎32歳

社会に対し、孤高の姿勢を貫こうとしていた若き日の光太郎の気概が見て取れます。「孤高」が「孤立」になっては困りますが……。