先々週のこのブログで、『伊豆新聞』さんの記事からご紹介した、川端康成邸での光太郎のそれを含む大量の書画発見のニュ-スが、全国報道されました。
『朝日新聞』さん、『神奈川新聞』さんでは、光太郎書の画像を掲載して下さいました。
まず朝日さん。
川端康成宅 書画続々
ノーベル賞作家の川端康成(1899~1972)の自宅で、夏目漱石や北原白秋、林芙美子や横光利一、田山花袋ら著名作家の手による直筆の書や書簡などが大量に見つかった。美術品の収集家としても知られる川端だが、作家の書が見つかるのは珍しい。 書や書簡、絵画など70点以上で、神奈川県鎌倉市の川端邸に眠る遺品を整理していた川端康成記念会(川端香男里理事長)が昨年末、発見した。
書は52点。漱石の五言絶句や田山花袋の七絶詩、北原白秋の自作歌など、川端より前世代の文豪のほか、生前交流のあった同世代作家の書もあった。
川端らとともに「新感覚派」と呼ばれ、盟友でもあった横光利一による書は3点で、代表的な句「蟻(あり)臺上(だいじょう)に餓(う)えて月高し」をしたためた1点も。書を収めた箱には、利一の没後、夫人から譲り受けた経緯が記されていた。林芙美子が鎌倉の川端を訪ねた際に川端が依頼したという書には「硯(すずり)冷えて銭もなき冬の日暮(ひぐれ)かな」とあった。
その他、芥川龍之介が室生犀星に宛てたものなど、書簡は4点。島木健作が川端の妻に宛てて、訪問の際の非礼をわびた手紙は額装された状態で見つかった。
記念会理事の水原園博さんは「川端は、書には人格や魂がこもると考え、尋常ではない興味を持っていた。同世代の作家との幅広い交流、年上の作家への尊敬の念も読み取れる」と話している。見つかったものの一部は今夏、岩手県立美術館で公開される予定。(板垣麻衣子)
続いて『神奈川新聞』さん。
川端康成が見た「文学史」 旧宅から文豪の書76点見つかる
後半生を鎌倉で過ごしたノーベル文学賞作家、川端康成(1899~1972年)が収集した 文豪の書など76点が、鎌倉市の旧宅で見つかった。コレクションに名を連ねるのは夏目 漱石や芥川龍之介、島崎藤村ら名だたる文士たち。同時代の作家に寄せる親しみや敬意を示すとともに、川端の目を通した「日本近代文学史」にもなっている。 川端に関する資料保存や研究を手がける川端康成記念会(川端香男里理事長、同市長谷)が24日に発表した。旧宅の敷地に立つ資料庫「川端康成記念館」(非公開)で昨年11月末に偶然見つかり、同会が12月上旬に概要を調査。掛け軸や額など書は52点に上り、書簡や絵画などもあった。直接書いてもらったり、古物商から購入したりと、入手経路はさまざまという。
漱石の書は、1914年に友人の森円月に贈った五言絶句の漢詩で、軸装され木箱に入っていた。芥川が室生犀星に宛てた書簡は、東京・田端にあった文士村の会合「道閑会」に誘う内容。自身を「澄江堂」、犀星を「魚眠洞御主人」と記すなど、親しさがうかがえる。これらの多くは存在が知られ、未発表書簡には当たらないが、実物の存在が改めて確認された形だ。
同会の水原園博理事は「同時代の作家への親しみに加え、書に対する尋常でない重いも読み取れる」と指摘。川端は書に人格を見いだし、収集にのめり込んだという。「なぜ膨大な書を集めたかを研究し、川端の創作をより立体的に捉えたい」と話していた。
同会は16年前から川端に関する資料を調査、公開している。今回発見された書の一部は、今夏に盛岡市の岩手県立美術館で公開される計画がある。
昨夜には、TBSさん系のニュースでも報じられ、同じ書が写りました。
TBSさんと提携関係にある『毎日新聞』さんでも記事になりましたが、こちらでは光太郎の書は使われなかったようです。
さて、問題の書。画像で見る限りは光太郎の筆跡で間違いないようです。書かれているのは『智恵子抄』所収の「樹下の二人」でリフレインされる「あれが阿多多羅山 あの光るのが阿武隈川」。同じ詩句は当会顧問の北川太一先生が揮毫して貰い、智恵子の故郷、福島二本松の霞ヶ城に建立さられた詩碑に刻まれたものが、色紙等にプリントされて出回っています。そこからコピーした悪質な偽物、ということも考えましたが、それとは筆跡が異なりました。おそらくいけないものではないようです。
見つかった書画の一部は今年の夏、盛岡で公開されるとのこと。盛岡は光太郎ゆかりの地でもあり、ぜひとも光太郎書もそこに含めていただきたいものです。
【折々のことば・光太郎】
「無窮」の力をたたへろ 「無窮」の生命をたたへろ 私は山だ 私は空だ
詩「山」より 大正2年(1913) 光太郎31歳
この年の夏、智恵子と共に婚前旅行で1ヶ月ほど滞在した、信州上高地での体験をモチーフにしています。その辺りの経緯、尺の関係でカットされなければ、今夜、NHK BSプレミアムさんで放映の「にっぽんトレッキング100 絶景満載!峡谷のクラシックルート~長野・上高地~」で扱われるはずです。
画像は一昨年、山岳雑誌『岳人』さんに書かせていただきました記事から。