年が改まりまして、自宅兼事務所に貼ってあったカレンダーを、今年のものに一新しました。ありがたいことに、いろいろな事業所さん等が無料で下さるカレンダーで、家じゅうの主要な場所はまかなえています。
このブログを書いているパソコン脇の壁には、『朝日新聞』の販売店さんから戴いた実用一点張りのカレンダー。予定等を書き込むのに最適です。
書斎には妻が購入している化粧品店さんからのカレンダー。明治41年(1908)から翌年にかけ、光太郎が留学で滞在していたモンパルナスに近い、パリ7区で活動されているフラワーデザイナー、エリック・ショヴァン氏のフラワーアレンジメント作品をあしらっています。


バックには光太郎も愛したパリの風景が。いい感じです。
自動車保険の会社さんが持ってきて下さったカレンダーは、日本各地の風景。十和田湖に近い蔦沼の写真も使われていました。

ちなみにこの手の大きな紙を広げていると、必ず邪魔しに来るやつがいます(笑)。

さて、十和田といえば、十和田市の民生部まちづくり支援課さんからカレンダーが送られてきました。このところ毎年戴いているのですが、十和田市ご出身の写真家・和田光弘氏が撮影された、十和田の四季折々の写真を使った「十和田市観光カレンダー 季色彩々」です。

2ヶ月で1枚になっていますが、いきなり1・2月のページに光太郎作の「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」。

表紙にも同じ写真が使われていました。

手前に写っている雪灯籠からして、毎年2月に開催されているイベント「十和田湖冬物語」の際のものと思われます。「乙女の像」のライトアップも為されているようです。幻想的なショットですね。こちらはもったいなくて使えません。このまま保存しようと思っております。
今年の「十和田湖冬物語」につきましては、また近くなりましたら詳細をお伝えいたします。
ところで、トイレに貼ったカレンダーには、こんなことが書いてありました。

平成29年は「昭和92年」「大正106年」だそうです。ちなみに明治に換算すると、ちょうど明治150年ですね。全国にはまだまだ明治生まれの方もご存命と思われますが、いつまでもお元気でいてほしいものです。
【折々のことば・光太郎】
ああ、走るべき道を教へよ 為すべき事を知らしめよ 氷河の底は火の如くに痛し 痛し、痛し
詩「寂寥」より 明治44年(1911) 光太郎29歳
欧米留学からの帰朝後、父・光雲を頂点とする旧態依然たる日本彫刻界との対立を余儀なくされ、悶々とする日々を送っていた頃の作です。「パンの会」などのデカダンスにはまりながらも、そうした自分を醒めた目で見ているもう一人の自分がいて、これではいけない、と常に警告を発していました。
このあたりが後の無頼派との大きな相違ですね。