来週、ATV青森テレビさんで、下記の番組が放映されます。
「乙女の像」の制作はなぜ、高村光太郎に依頼されたのか、実写映像など貴重な資料をもとに辿ります。
十和田湖が1936年(昭和11年)2月1日に国立公園に指定されてから、今年で80年を迎えました。
十和田湖休屋の畔にたたずむ「乙女の像」は、国立公園指定に向けてさまざまな取り組みをした3人の功労者を顕彰すると共に、国立公園指定15周年を記念して昭和28年に建てられたものです。製作は彫刻家で詩人としても名を馳せていた高村光太郎に依頼されました。
番組では「乙女の像」の制作がなぜ高村光太郎に依頼されたのか、当時を知る関係者の証言を中心に描きながら、高村光太郎が鉛筆で走り書きした最初の「乙女の像」の構想スケッチや制作中の実写映像など貴重な資料を織り交ぜながら構成していきます。
出演 ◆小山田久・十和田市長 ◆奈良秀則・青森県観光コンベンション協会会長 ◆高村規(高村光太郎の甥・故人) ◆北川太一(文芸評論家・高村光太郎研究の第一人者)◆小山弘明(高村光太郎連翹忌運営委員会代表)
同局から協力要請があり、先月30日と今月1日、都内での取材・撮影に同行いたしました。文京区の光太郎アトリエ跡、実家、当会顧問・北川太一先生のお宅でインタビュー、さらに中野区の光太郎終焉のアトリエ。その際に当方へのインタビューも撮影されましたので、尺の都合でカットされていなければ、映るでしょう。
光太郎の令甥である故・高村規氏の部分は、平成25年(2013)に、十和田湖奥入瀬観光ボランティアの会の皆さんが、『十和田湖乙女の像のものがたり』を刊行するためにお話をお聞きした(その折も同行させていただきました)際の映像が転用されるようです。
追記・残念ながらその部分はカットでした。
青森限定での放映というのが残念ですが、青森にお知り合いのいらっしゃる方、録画をお願いしてみてはいかがでしょうか。
こちらにはDVDが届くことになっております。拝見するのが楽しみです。届きましたらまたレポートいたします。
【折々の歌と句・光太郎】
火はあかし雪は白しのことわりにかしこや諸手(もろで)胸にくむ世ぞ
明治34年(1901) 光太郎19歳
「かしこ」は「畏」の字を宛て、「畏れ多い」といった畏怖の気持ちを表します。神社の祝詞で使われる「畏み申さく」なども同源です。
ここでは火を赤く、雪を白く創り上げた大いなる自然の力への畏怖、といった意味でしょうか。
火といえば、新潟糸魚川の火災、大変な状況です。亡くなった方はいらっしゃらないようで、不幸中の幸いと存じますが、焼け出された方々、さぞや大変だろうと胸が痛みます。謹んで御見舞い申し上げます。
改めて、火の取り扱いには畏れをもって接したいと思いました。