光太郎が戦中戦後を過ごした岩手県花巻市。
まずは市の広報紙『広報はなまき』。花巻はいわば光太郎第二の故郷ということで、時折、光太郎の名が載っており、このブログのネタを見つけるのに活用させていただいています。
12月15日号には、「花巻市民芸術祭第10回文芸大会」の入選作品が掲載されていました。これは、先月22日、同市生涯学園都市会館(まなび学園)で開催されたイベントです。
短歌、俳句、川柳、詩、随筆の五部門で、このうち短歌と俳句は事前に応募があった作品と、会場で作られた「当日詠・句」とのそれぞれで選考されるそうです。
さて、俳句の部の「当日句」で「特選」、さらに「最高点句賞」に選ばれた作品が、光太郎がらみです。
光太郎の手縫ひ雑巾小鳥くる
いい句ですね。花巻郊外旧太田村(現・花巻市太田)の山小屋(高村山荘)での光太郎を詠んだものと推定されます。作者の中村さんという方、もしかすると、その当時(昭和20年=1945~同27年=1952)の光太郎をご存じなのかもしれません(違っていたらごめんなさい)。
「小鳥くる」は秋の季語。ツグミやヒヨドリなどの渡り鳥に対して使うそうです。
同じ『広報はなまき』の12月15日号には、光太郎もたびたび逗留した大沢温泉さんの記事も載っていました。ただ、光太郎ではなく宮沢賢治が愛した温泉、という紹介で、残念ながら光太郎の名はありませんでしたが。
また、今月発行された市のPR誌『花日和』の平成28年冬号では、やはり光太郎がたびたび逗留した花巻温泉さんが紹介されています。
こちらも光太郎にふれられていないのが残念ですが……。
また近くなりましたら詳細をお伝えいたしますが、来春から花巻高村光太郎記念館さんで、企画展として大沢温泉さんや花巻温泉さんなどと光太郎のつながりを紹介する「光太郎と花巻の湯」展が開催されます(当方、監修ということになっております)。
余裕があれば、この冬もいずれかの温泉に行き、雪見風呂としゃれこみたいものです。
【折々の歌と句・光太郎】
天然の湯をしおもはばしばらくは魂とびて夢のこゝちする
大正9年(1920) 光太郎38歳
まったくそのとおりですね(笑)。