それぞれ先週、『毎日新聞』さんの地方版に載った、美術館の企画展報道です。
まず和歌山版。
「ペール北山の夢」展 画家と両輪、時代動かす 大正期の美術界支援
詩人で彫刻家の高村光太郎はかつて記した。「この人ぐらい熱心に当時の美術界に尽力した人はないであろう」と。「この人」の名は北山清太郎(1888~1945年)。大正初期に雑誌の出版や展覧会開催を通して、岸田劉生や木村荘八ら若い画家たちを支援した。19世紀のパリで無名だったゴッホらを支え「ペール・タンギー」と慕われた画材商の男性にちなみ、「ペール北山」と呼ばれた。彼の故郷、和歌山市の和歌山県立近代美術館で開かれている展覧会「動き出す!絵画 ペール北山の夢」はあまり知られていない北山の仕事を軸に、大正期の美術動向を探ろうとする意欲的な企画だ。
明治末以降、国内では文芸雑誌「白樺(しらかば)」がセザンヌやロダンを紹介するなど西洋美術への熱が高まっていた。北山は1908年に水彩画同好者の団体を結成後、東京で画材商を営みながら12年4月に美術誌「現代の洋画」を創刊。当時としては珍しいカラー図版や海外論文の翻訳を掲載するなど情報発信に努めた。本展では同誌で紹介されたゴッホやセザンヌらの作品とあわせて、彼らにあこがれた国内の画家たちの油彩画など計約170点が並ぶ。
例えば萬(よろず)鉄五郎の「女の顔(ボアの女)」(12年)。椅子に腰掛ける和装の女性が荒々しい筆致で描かれている。その構図はゴッホの「ペール・タンギーの肖像」を思わせ、毛皮の襟巻きに異国趣味が漂う。08年にフランスから帰国した斎藤与里(より)の「木蔭(こかげ)」(12年)はセザンヌの水浴図の影響がうかがえる。一方で「律義にたたんだタオルを持つ姿は銭湯帰りのよう。日本の風習が感じられて面白い」と同館の青木加苗(かなえ)学芸員は指摘する。
両作品とも、斎藤と高村が中心となって12年秋に結成した若手絵画グループ「ヒユウザン(後にフュウザン)会」の展覧会に出品された。北山はその運営や機関誌の発行を手伝った。また同会解散後の15年、メンバーだった岸田や木村らが発足させた「草土社」の初期運営にも関わり、出品目録などを手がけた。劉生の「代々木附近(ふきん)」(15年)は目の前の赤土と切り通しの風景を写実的に描き、新時代の到来を感じさせる。
雑誌「現代の洋画」は「現代の美術」と改題し、15年までの発刊が確認されている。北山はそのころ出会ったアニメーションの制作に没頭するようになり、美術界からは遠のいた。近年は国産アニメの先駆者として注目されつつある。
2006年から調査を続けてきた同館の宮本久宣学芸員は「北山は事業家として時代の最先端に反応しながら、芸術文化を支えることにやりがいを感じていたのでは」と話す。北山と美術の直接的な関わりは10年にも満たないが、それは日本の洋画界の転換期でもあった。最新の西洋美術を受容しながら自らの表現を追い求めた画家たちと、それを支えた名プロデューサーは両輪となって熱い時代を動かしたのである。
来年1月15日まで。12月29日~1月3日、月曜休館(9日は開館、翌日休館)。和歌山県立近代美術館(073・436・8690)。【清水有香】
先月から、和歌山県立近代美術館さんで開催されている企画展「動き出す!絵画 ペール北山の夢―モネ、ゴッホ、ピカソらと大正の若き洋画家たち」についてです。光太郎油彩画「上高地風景」「佐藤春夫像」が出品されています。
開幕した頃に、地元紙や全国紙の和歌山版などで結構報じられましたが、始まって1ヶ月ほど経ってからの報道。これはこれでありがたいそうです。
というのは、花巻高村光太郎記念館さんのスタッフ氏から聞いた話ですが、企画展に関しては、開幕後、しばらく経つと落ちた客足が、この手の報道が入ることでまた持ち直すからなのでそうです。「なるほど」と思いました。
同様に、同じ『毎日新聞』さんの千葉版では、千葉県立美術館さんでの企画展「メタルアートの巨人 津田信夫」を報じて下さっています。こちらは光太郎の実弟にして鋳金の人間国宝だった、高村豊周の作品も展示されています。
企画展 千葉「メタルアートの巨人 津田信夫」
(毎日新聞千葉支局など後援) 来年1月15日まで、千葉市中央区中央港1の10の1、県立美術館。 佐倉市出身の工芸家、津田信夫(1875~1946年)の代表的な作品を中心に、津田と関わりのあった工芸家や教え子の作品も展示し、津田の生涯を振り返る。
津田は溶かした金属を型に流し込んで作る鋳金(ちゅうきん)の分野で活躍。鳥や動物などをモチーフに、装飾的表現を抑え形態そのものが持つ美を追求した。津田の初期から晩年までの金工作品、陶器を加えた約90点を紹介している。
また、母校の東京美術学校(現東京芸術大学)で約40年間教壇に立ち、工芸家の高村豊周ら逸材を輩出した。明治期から同校は各種各地の委嘱制作の注文を受けた。津田は近代工芸史上最大規模の作品ともいえる国会議事堂の正面扉群のほか、日比谷公園の鶴の噴水、日本橋橋上装飾の麒麟(きりん)など、経費や工期に至るまで総括した工房の親方として業績を残している。
美術館普及課の担当者は「津田は工芸家、教育者、工房の親方として、多方面に優れた業績を残したメタルアートの巨人です。近代日本を代表する工芸作品をじっくり見てください」と来場を呼びかけている。
美術館(電話043・242・8311)は9時~16時半(入館は16時まで)。月曜休館(祝日の場合は翌日)、年末年始(28日~来年1月4日)。入場料は一般500円、高・大生250円、中学生以下無料。【渡辺洋子】
それぞれ、来年1月15日(日)までの開催です。ぜひ足をお運びください。
【折々の歌と句・光太郎】
一入に美術の海は波高しこゝ楫取りの腕をこそ見れ
明治32年(1899)頃 光太郎17歳頃
ペール北山、津田信夫、豊周、そして光太郎……。それぞれに波高き美術の海を渡っていったわけですね。
「一入」は「ひとしお」、「楫」は「かじ」と読みます。「こそ見れ」は係り結びですね。