今日、12月9日は、文豪夏目漱石が亡くなってちょうど100年だそうです。
16歳違いの漱石と光太郎、ともに芸術の道を志したり、海外留学でこっぴどく人種的劣等感を植え付けられたり、漱石は言文一致の小説、光太郎は口語自由詩と、新しいスタイルの文学を確立したり、といった共通点があります。また、共通点といえば、同じ千駄木界隈に暮らしていたことも挙げられます。
さらに、漱石の『坊っちゃん』に表れているような、権威的なものを嫌う傾向も、二人の共通点といえるかもしれません。漱石が文学博士号を拒否した話は有名ですが、光太郎も芸術院会員を辞退しています。
それから、文学と美術の問題。光太郎は自身では美術(彫刻)が本業と位置づけていました(しかし、現実には詩人としての方が有名ですが)。一方の漱石は小説家を自認していたと思われますが、美術にも造詣が深く(描画にも取り組んでいました)、自作の中にさまざまな美術関連のエピソード的なものを効果的に盛り込んでいます。そのため、漱石と美術に的を絞った研究、展示なども為されています。
ただ、絵画の実作者としての漱石は、光太郎の留学生仲間だった画家の津田青楓にけちょんけちょんに言われていますが(笑)。
それはともかく、いろいろと共通点が感じられるので、当方、漱石作品は非常に好きです。
ところが、漱石と光太郎、お互いにどうだったかというと、水と油、犬猿の仲、とまでは行きませんでしたが、光太郎が漱石に噛みついたことがあり、以後、互いに敬遠していたようです。
その裏には、似たもの同士がお互いの中に自分の嫌なところを見いだし、結局は好きになれない的な関係があったのではないかと、勝手に想像しています。
さて、新刊をご紹介します。
いま、漱石以外も面白い 文学作品にみる近代百年の人語り物語り
2016/12/05 倉橋健一 述 / 今西富幸 筆録 株式会社澪標 定価2,500円+税活字文化の花形であった近代の文学作品は、物語と同時に書かれた時代そのものの吐息も鮮明に伝えてくれる。哀しみ、苦しみ、はかなさ、喜び、夢、希望、すべての作中人物の息遣いをとおしてリアルタイムに直接わたしたちに呼びかけてくれる。だからこそ漱石以外も魔的に面白い。七年にもおよんだ産経新聞連載「倉橋健一の文学教室」。新たに数本の加筆と対談を得て、古今東西の名作がよみがえる。いま、格好の文学案内。
目次
(近代編)尾崎翠/小林多喜二/室生犀星/石川淳/有島武郎/夏目漱石/谷崎潤一郎/島崎藤村/井伏鱒二/堀辰夫/織田作之助/太宰治/山川菊栄/内田百閒/徳田秋声/折口信夫/菊池寛/知里幸恵/柳田国男/川端康成
(戦後編)金子光晴/島尾敏雄/高橋和巳/椎名麟三/宇野浩二/高見順/伊藤整/里美弴/林芙美子/広津和郎/深沢七郎/檀一雄 (現代編)辻井喬/吉村昭/堀田善衛/石牟礼道子/野坂昭如/井上ひさし (近世編)仮名手本忠臣蔵/三遊亭円朝/井原西鶴 (海外編)メリメ/ラファイエット夫人/トルストイ/チェーホフ/サルトル/ボードウィン/ウルフ/レマルク/ドストエフスキー/ブロンテ/ミシュレ/ホーソン/カフカ/カミュ/コクトー/フォークナー/ポオ/ヒューズ
(戦後編)金子光晴/島尾敏雄/高橋和巳/椎名麟三/宇野浩二/高見順/伊藤整/里美弴/林芙美子/広津和郎/深沢七郎/檀一雄 (現代編)辻井喬/吉村昭/堀田善衛/石牟礼道子/野坂昭如/井上ひさし (近世編)仮名手本忠臣蔵/三遊亭円朝/井原西鶴 (海外編)メリメ/ラファイエット夫人/トルストイ/チェーホフ/サルトル/ボードウィン/ウルフ/レマルク/ドストエフスキー/ブロンテ/ミシュレ/ホーソン/カフカ/カミュ/コクトー/フォークナー/ポオ/ヒューズ
(詩歌編)北原白秋/高村光太郎/山村暮鳥/小野十三郎/三好達治/丸山薫/黒田三郎/吉野弘/吉原幸子/荒川洋治/金時鐘/石原吉郎/平田俊子/寺山修司/山頭火/ヌワース/ランボー ほか
(対談)文学が担うものをめぐって
もともと、『産経新聞』さんに連載されたコラムの単行本化だそうです。光太郎の項は平成22年(2010)に載ったとのこと。
ぜひお買い求めを。
【折々の歌と句・光太郎】
わたくし道徳しないあるなど言ふ人と犢の肉を喰ひて別れぬ
大正末~昭和初期(1920年代半ば) 光太郎45歳頃
一昨日に続き、「カキ」ネタです。
昔、華僑の人々が、手っ取り早く日本語を話す手段として、断定・完了などの意の文末を「~ある」としていたそうです。芸人のゼンジー北京さんや、石ノ森章太郎さんの「サイボーグ009」の006(張々湖)が使っていたため、ステレオタイプの表現に過ぎないと思われがちですが、実際に光太郎短歌にも使われています。
この歌に関しては、与謝野晶子に師事した歌人の中原綾子の回想があります。
大正末期か昭和の極く始め、荻窪の与謝野邸で久々で古い同人達の歌会が催されたが、これは席上結び字で高村先生がお詠みになつたお歌である。いまでは私の記憶に在るだけかも知れないと思はれるので書き留めておくが、途方もない此のお歌と、それを読み上げられた寛先生の御迷惑顔とが同時に思ひ出されて、いまでも可笑しい。余談だが、その事を当日欠席された堀口大学氏へ知らせてさし上げたところ「――高村君は一種の巨人です。ときどき見ておくよろしいある」と御返事が来た。
(『高村光太郎全集』第六巻月報「第二期明星の頃」)
こういう部分にも、光太郎の権威的なものへの反抗心が色濃く表れています。