週末の『日本経済新聞』さんに、立て続けに光太郎の名が出ました。

そのうち、先週土曜の夕刊に載った記事です。同紙編集委員の宮川匡司氏のご執筆。 

遠みち近みち中村稔89歳 燃える執筆意欲

 「四十五十は洟(はな)垂れ小僧」という言い回しに、20代のころは反発を覚えていたものだ。しかし、いざその年代も過ぎようとしている昨今、「なるほどうまいこと言うものだ」と苦笑いを交えて、肯(うべな)うことが多くなった。
 例えば、来年1月に90歳を迎える詩人で弁護士の中村稔氏の驚くべき仕事ぶりに接した時には、怠惰な自分を省みて悄然(しょうぜん)とならざるをえない。中村氏は、89歳になった今年に限ってみても、2月に550㌻に及ぶ大部の「萩原朔太郎論」、4月に井原西鶴の主要な作品の魅力を読み解く「西鶴を読む」、7月にエッセー集「読書の愉(たの)しみ」という3冊の単行本を、いずれも青土社から刊行した上に、この秋には、初の書き下ろし詩集である「言葉について」(青土社)を出版したばかり。
 ほぼ2、3ヶ月おきに単行本を出し、しかも西鶴文学という新しいジャンル、書き下ろし詩集という新たな形態への挑戦が続くという、とても卒寿とは思えない精力的な執筆活動を続けている。
 「言葉について」は、詩人として七十余年、積み重ねてきた言葉に対する思索を凝縮したような詩集で、14行のソネット形式で20編を収める。
 「言葉は時間の流れの中で黄ばみ、/ぶざまに歪み、無数に裂け、/つくろいようもなく傷ついた/私たちの意思伝達の道具であり、また、私たち自身だ。」
 こうした今の言葉に対する厳しい認識は、次のような行に、さらに鮮明に表れている。
 「着せかえ人形ほどに軽い、なにがし大臣の椅子、/紙幣をじゃぶじゃぶ金融市場に溢れさせている、/権力者のそらぞらしい言葉の軽さ。」
 その後の「言葉の軽さは傲慢な思いつきの軽さだ」の行に、今を見据える目が光る。
 90歳になる来年は、「高村光太郎と石川啄木についてそれぞれ本を書くつもりです」。言葉の本質を見つめる仕事は、なおも途上といっていい。
(2016/12/03 夕刊)


詩人で弁護士、評論家、さらに駒場の日本近代文学館名誉館長であられる中村稔氏に関する記事です。

弁護士としての氏は、知的財産権関連を手がけることが多く、いわゆる「智恵子抄裁判」で、原告・高村家側の弁護人を務められました。20年以上にわたる裁判の末、原告側の勝訴に終わり、この件は著作権に関する判例の一つの指針として、現代でも重要な扱いを受けています。

詳細は氏のエッセイ集『スギの下かげ』(平成12年=2000 青土社)に「回想の『智恵子抄』裁判」としてまとめられています。

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また、その裁判の関連もあり、平成11年(1999)には、角川文庫から『校本 智恵子抄』を編刊されてもいます。

氏とは今年、お会いしました。

夏に信州安曇野碌山美術館さんで開催された「夏季特別企画展 高村光太郎没後60年・高村智恵子生誕130年記念 高村光太郎 彫刻と詩 展 彫刻のいのちは詩魂にあり」の関連行事として、記念講演をさせていただいたのですが、その日に中村氏が同館にいらっしゃいまして、お話をさせていただきました。

その際に、記事に有るとおり、光太郎についての論考をまとめられているというお話を伺い、そのバイタリティーに感銘しました。

それにしても記事の冒頭、「四十五十は洟(はな)垂れ小僧」とありますが、当会顧問の北川太一先生にしても、中村氏よりさらに2歳年長(夏には中村氏に北川先生の近況を尋ねられ、「中村先生ご同様にお元気です」とお答えしました)で、来春には満92歳になられます。かないませんね(笑)。

しかし、光雲の弟子筋に当たる彫刻家・平櫛田中は満107歳で天寿を全うし、「六十、七十、洟垂れ小僧 男盛りは百から百から」と言っていたといいます。そうなると当方、洟垂れ小僧にもたどりついていません(笑)。

さて、中村氏御著書、来年には刊行されるようですので、楽しみに待ちたいと思っております。


【折々の歌と句・光太郎】

牡蠣を賞す美人の頬の入れぼくろ    明治42年(1909) 光太郎27歳

鍋の美味しい季節となりました。当方、鍋にはカキが入っていてほしいのですが、娘がカキをあまり好まず、我が家の鍋にはめったにカキが入りません。

時折、当方が夕食の支度をしますので、その際、隙を狙ってカキを入れてしまおうと企てております(笑)。