先週土曜日、南相馬をあとに、一路、双葉郡川内村に向かいました。この日は夕方から、当会の祖・草野心平を顕彰する「第6回天山・心平の会 かえる忌」でした。
会場は村中心部の小松屋旅館さん。敷地の奥にある「酒房天山」がメイン会場です。
この辺りまで来ると標高が高く、海沿いの地域よりも紅葉が進んでいます。南天の実も赤く色づいていました。
地元や東京方面から、心平ファン、それから変な云い方ですが、川内村ファンの皆さんがご参集。心平の愛した濁り酒を愛でつつ、心平について、川内村について、色々と語らいました。
主宰の天山心平の会・井出茂氏。小松屋旅館のご主人。右は川内村遠藤村長。
当方、他用のため昨年のかえる忌、それから同じ川内村で夏に行われる心平が愛した天山祭りも今年は欠礼したので、御無沙汰していました。遠藤村長とは、昨年冬に上野精養軒でお会いしましたが。
この日は、かつて心平が光太郎歿後の昭和35年(1960)、新宿に開店したバー「学校」の、「第3次開校式」も兼ねました。第1次が昭和35年の心平存命時。その後、心平が歿し、最初の「学校」を手伝っていた方が新宿ゴールデン街に第2次「学校」を開き、しかしそれも3年前に「閉校」。そして今年、「酒房天山」の中にカウンターを設け、第3次「学校」が作られました。
囲炉裏を囲んで談話。その後は鍋や蕎麦などが振る舞われました。
夜も更けて、この日は小松屋旅館さんに泊めていただきました。
翌日は、川内村から1時間弱のいわき市にある心平生家で「没後29回忌「心平忌」 第23回心平を語る会」。当方が卓話(講話)を仰せつかっており、そちらが11時半からということで、朝はゆっくり散歩したりしました。
標高が高い分、冷え込みました。車のフロントガラスはバキバキに凍っていました。
旅館にほど近い川内小学校の裏山の紅葉。
そのまま歩いて、心平が蔵書を寄贈して作られ、ある意味心平の別荘としても使われた「天山文庫」まで歩きました。こちらの紅葉も実に見事でした。
その他、いかにも「日本の原風景」といった景観がそちこちに。
しかし、ここは理不尽な「人災」からの被災地です。それを憤る気持ちを忘れてはいけないと思いました。
新しい店舗も増え、着々と復興が進んでいますが、失われたものもたくさんあったわけで……。
何はともあれ、さらなる復興へと進んでいってほしいものです。
小松屋旅館さんの酒房天山の襖に書かれた、市民ランナー・川内3兄弟のサイン。長兄の優輝選手が特に有名ですね。
それぞれいい言葉です。川内村へのエールとして受け止めたいものです。
明日はいわき市編です。
【折々の歌と句・光太郎】
ちさき神もみぢに泣きしあしたより冬の御駕(みくるま)鞭くははりぬ
明治33年(1900) 光太郎18歳
「ちさき」は「小さい」、「あした」は「朝」。
北日本は一足早く冬の支度が着々と進んでいます。