青森県の地方紙、『東奥日報』さんの一面コラム、一昨日掲載の分です。 

天地人 2016年11月1日(火)

 散り落ちた木の葉が道端に点在していた。大きな木のそばでは、葉の吹きだまりも見える。頬に触れる風が冷たい。拙宅のある青森市郊外の団地は晩秋を通り越し、はや初冬の気配である。季節の移ろいの早さを、あらためて実感する。
 きょうから11月。7日は「立冬」である。俳句では「冬立つ」とも言い、何だか寒さへの覚悟を求める響きがある。
 彫刻家で詩人の高村光太郎は詩集「道程」の一編に<きっぱりと冬が来た>と書いた。高村にとって、冬は格別の季節だったようだ。別の一編にはこうある。<冬が来る/寒い、鋭い、強い、透明な冬が来る><魂をとどろかして、あの強い、鋭い、力の権化の冬が来る>。
 冬は<魂をとどろかして>やって来る<力の権化>だという。高村が吐いた言葉をまともに受け取ると、気が重くなる。雪国に暮らす以上、過酷な冬はどうしたって避けて通れない。ならば、どうする。食に楽しみを見いだす手もある。ホカホカの鍋料理なら、ポカポカと体が温まり、気分も癒やされる。
 手ごろな一番手はやはり湯豆腐か。土鍋の底に板昆布を敷き、賽(さい)の目に切った豆腐を入れる。ネギのほか、好きな具材があれば魚でも何でも入れられる。<湯豆腐が煮ゆ角々が揺れ動き>山口誓子。豆腐は安価な上にタンパク質が多い。冬にはもってこいの健康鍋だ。


東北も北の方では、既に雪の便りが届いています。北国や雪国では、長く厳しい冬の始まりなのですね。比較的温暖な房総に暮らす身には、申し訳ないような気がします。べつに罪を犯しているわけではありませんが(笑)。

ただ、青森の、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の立つ、十和田湖周辺、まだ紅葉が楽しめるようです。

テレビ放映情報です。

L4YOU! 『絶景!秋の青森~奥入瀬渓流の紅葉~』

テレビ東京 2016年11月9日(水)  15時55分~16時54分 

紅葉の見頃を迎えた日本屈指の景勝地、奥入瀬渓流を散策!秋に彩られた渓流と十和田湖、さらにライトアップされた弘前城へも足を伸ばします。今しか見られない絶景をご紹介

出演者
【司会】 草野満代、板垣龍佑(テレビ東京アナウンサー)
【ゲスト】  細川直美、中島史恵


「乙女の像」が少しでも写るといいのですが……。

テレビ東京さんですと、全国的には系列局が少なく、視聴可能な地域が限定されますが、ご覧になれる方、ぜひどうぞ。


【折々の歌と句・光太郎】

腹へりて死ぬこともあらん銭といふわりなきものをいやしむるゆゑ
大正13年(1924) 光太郎42歳

少し遅れて昭和6年(1931)に書かれた詩に、以下のものがあります。


   美の監禁に手渡す者
アトリエの光太郎智恵子
納税告知書の赤い手触りが袂にある、
やつとラヂオから解放された寒夜の風が道路にある。
売る事の理不尽、購ひ得るものは所有し得る者、
所有は隔離、美の監禁に手渡すもの、我。
両立しない造形の秘技と貨弊の強引、
両立しない創造の喜と不耕貪食の苦(にが)さ。
がらんとした家に待つのは智恵子、粘土、及び木片(こつぱ)、
ふところの鯛焼はまだほのかに熱い、つぶれる。


光太郎、大正末から昭和初めは彫刻制作で脂ののった時期でしたが、そこに大きな矛盾を感じていました。光太郎の彫刻を買ったり、肖像制作を依頼したりする余裕のある者の多くは、光太郎の嫌いな俗世間での成功者で、真に芸術を理解しているかどうかあやしいと感じていたのです。

この詩では、自分が精魂込めて作った彫刻が、そういう者に「監禁」されること、その「監禁」に手を貸さざるを得ないことに対する嘆きが語られています。