昨日は福島県二本松市に行っておりました。2日の日曜日に歴史資料館さんでの、「智恵子生誕一三〇年・光太郎没後六〇年記念企画展 智恵子と光太郎の世界」の開会行事および記念講演会、さらに午後からは智恵子を偲ぶ「第22回レモン忌」に参加して参りましたが、その際に見られなかったものやら、新たなイベントやらがあり、2週続けての来訪となりました。
朝6時に千葉の自宅兼事務所を出発。愛車を駆って一路二本松へ。こうした場合のお約束で、出がけは雨でした。途中であがりましたが。
9時少し前に二本松に到着。まずは霞ヶ城公園の「二本松の菊人形」に。昨日9時開場ということで、ほぼ一番乗りでした。
一般料金700円。券売機に並ぼうとした直前、当方の名を呼ぶ声が。誰かと思ったら、智恵子生家の近所でお店を営む戸田屋商店さんの女将さんでした。菊人形会場の入り口前に、出張店舗を出されているとのこと。そして何と、菊人形の無料券を頂いてしまいました。ありがたや。当方、普段の行いは決して良くありませんが、時折こういう強運に恵まれます(笑)。
昨年、一昨年と、智恵子の菊人形が出ていました。今年も出るかと思っていましたが、今回は菊人形としてのパンフレットは発行されていませんので、不明でした。もっとも、昨年もメインテーマの「幕末維新伝」以外の部分で智恵子人形が展示されていました。
さて、会場内へ。今年のメインテーマは「あっぱれニッポン! 世界に誇れる日本人」ということで、さまざまな偉人をかたどった菊人形が並んでいます。二本松出身の歴史学者・朝河貫一や、会津の新島八重など。
毎年出ている五重塔。そして、今回、福島現代美術ビエンナーレとのコラボで、巨大なオブジェ「花の女神 フローラ」が。
先日、ビエンナーレの特別顧問を務められている一色(大山)采子さんに、「6㍍の巨像」と聞いていたのですが、どう見ても6㍍はありません。説明板を読んで納得いきました。普段は眠っているそうですが、日に2回、目覚めて立ち上がるそうで、その際の高さが6メートルなのですね。
会場最上部には動物とのふれあいコーナー。ラマ君がいました。しかし、ここまでのコーナーに智恵子がいませんでした。ここから先は例年、人形は並べられないゾーンです。「何だ、今年は智恵子人形はなしか……」と思っていたところ、何と最後の最後にいました。
一昨年、昨年とも、ちょうど当方が来た際に、智恵子人形は作業小屋で菊花の補修中だったため、ちゃんと並んでいる智恵子人形は初めて見ました。
菊むすめの皆さん。華やかですね。
霞ヶ城を後に、駅前の市民交流センターへ。10時から「智恵子講座2016」、喜多方市美術館館長の後藤學氏による「セザンヌと後期印象派」。同地で智恵子の顕彰活動をなさっている智恵子のまち夢くらぶさんの主催で、昨年から引き続き「高村智恵子に影響を与えた人々」のメインテーマの元に行われています。
セザンヌは画家志望だった智恵子が非常にいいと言っていたという経緯もありますし、光太郎も自著『印象主義の思想と芸術』(大正4年=1915)などで好意的に紹介しています。
セザンヌは画家志望だった智恵子が非常にいいと言っていたという経緯もありますし、光太郎も自著『印象主義の思想と芸術』(大正4年=1915)などで好意的に紹介しています。
お話はセザンヌ、そして同時代の作家たちに関してで、非常に示唆に富むものでした。ただ、時間の都合などもあり、後期印象派に関する内容があまりなかったのが残念でした。海外留学からの帰国後、一時は彫刻家と言うより画家だった光太郎は、フォービズムの影響を色濃く受けています。
終了後、後藤氏、それから夢くらぶの皆さんと昼食。午後からは歴史資料館で、「智恵子生誕一三〇年・光太郎没後六〇年記念企画展 智恵子と光太郎の世界」を拝見。当方、二度目でしたが、前回はオープン直後でゴタゴタしていたのに対し、今回はゆっくり見られました。
会場内で十和田湖奥入瀬観光ボランティアの会の山本氏ご一家と遭遇。いらっしゃるということは伺っていましたが、当方同様、市内のあちこちを廻られるということでしたので、会えないだろうと思っておりました。ご家族の方々とは、一昨年の十和田湖湖水まつりでご一緒させていただきましたが、二人のお子さんが大きくなっていて、驚きました。
その後、さらに智恵子生家及び智恵子記念館へ。長くなりましたので、明日に回します。
【折々の歌と句・光太郎】
観自在こそ たふとけれ まなこひらきて けふみれば 此世のつねの すがたして わが身はなれず そひたまふ
昭和21年(1946) 光太郎64歳
昨日のこのコーナーで、短歌ではない「五・七・五・七・七・七」の仏足石歌をご紹介しました。ついでといっては何ですが、やはり短歌ではない歌体の和歌をご紹介します。
『高村光太郎全集』では、そうするしかないので詩の項に分類していますが、「七・五」を四回繰り返す「今様」という形式です。「いろは歌」などもこのスタイルですね。
「観自在」は観世音菩薩、いわゆる観音様です。仏師の家系に育った光太郎、幼い頃から光雲作の観音像などを目にし、自然に観音信仰に染まっていました。ただ、盲進的・狂信的な崇拝ではなく、「ふと気がつくと、常に観音様に守られているような気がする」的な感じだったと思われます。
ブロンズの代表作「手」は観音菩薩の「施無畏」の印相。それは「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」にも受け継がれます。
また、戦後にはこの歌を揮毫して人に贈るということもたびたびありました。岩手県北上市後藤の平和観音堂境内には、光太郎が贈ったこの歌の揮毫を刻んだ碑が建っています。
今年に入ってからも、花巻温泉にあった松庵閣という高級旅館の仲居さんに贈った揮毫が市場に出たりもしています。