一昨日の午前中、智恵子の故郷・福島二本松市の歴史資料館と智恵子記念館で「智恵子生誕一三〇年・光太郎没後六〇年記念企画展 智恵子と光太郎の世界」が始まり、その開会行事および、二本松市コンサートホールでの記念講演会に参加して参りました。

午後からは、智恵子生家に近いらぽーとあだちさんに於いて、智恵子を偲ぶ第22回レモン忌が開催されました。

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左上は智恵子肖像に献花、そして智恵子が好きだったというレモンの献果の様子。

その後、出席者全員で光太郎詩「値ひがたき智恵子」朗読。

右上は主催の智恵子の里レモン会・渡辺会長のご挨拶。さらに祝辞があり、記念撮影。第一部はこれで終了でした。

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第二部は、会食しつつの懇親会。合間にスピーチやアトラクション演奏等が入ります。まずは午前中の記念講演会でも演奏されたぷらイムのお二人。テルミン・大西ようこさん、ギター・三谷郁夫さんです。

途中から、ヴォイスパフォーマー・荒井真澄さんが加わり、朗読をご披露されました。7月には花巻高村光太郎記念館でコラボを実施されています。

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座席は指定席で、お隣は女優の一色采子さんでした(ただ、「ギャラが発生しない場合は本名の「大山采子」で参加」とのことで、以下、大山さんと表記します)。二本松出身の日本画家、故・大山忠作氏のご息女ということで、父上の作品を市に寄贈、大山忠作美術館が誕生しました。そのご縁で二本松観光大使を務められています。当方、同館で3年前に開催された有馬稲子さんと大山さんのトークショー以来、親しくさせていただいており、連翹忌にもご参加下さっています。

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そこでお召し物は二本松の菊人形オリジナルTシャツ。さすがです。缶バッヂは菊人形のゆるキャラ・菊松くん。

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その大山さんもスピーチ。その後、テルミンの体験演奏も。

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大山さん、今年は福島ビエンナーレ実行委員会特別顧問も務められているとのことで、そのご紹介がありました。下記は大山さんにいただいたA4見開きのマップ入りパンフレット。クリックで拡大します。

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ちなみに歴史資料館での「智恵子生誕一三〇年・光太郎没後六〇年記念企画展 智恵子と光太郎の世界」では、お父様の大山忠作画伯が智恵子を描いた作品も展示されています。

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その後もスピーチが続きました。

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前日に東京町屋で「第20回TIAA全日本作曲家コンクール入賞者披露演奏会」に臨まれた、作曲家の野村朗氏。

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智恵子も通った太平洋美術会の坂本富江さん。

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大阪からいらした高村光太郎研究会の西浦基氏。

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最後は二代目コロムビア・ローズさんの「智恵子抄」を全員で歌ってお開きとなりました。


閉会後、この日のレモン忌参加者に限り、期間前ながら智恵子の生家二階を無料で解放するというので、ぷらイムのお二人、荒井真澄さんらと、そちらに向かいました。

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庭には秋らしくムラサキシキブ。

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昨年の公開時にも2階に上がらせていただきましたが、何度訪れてもいいものです。

教育委員会の方が待機されており、いろいろお話を聴けたのもラッキーでした。

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一階の座敷と縁側の間の欄間。二本松らしく、菊花があしらわれています。笑っているようにも見えますね。内側から見ると、下のような見え方になります。

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時間の都合もあり、隣接する智恵子記念館での紙絵実物展示は見ませんでした。また来週10日にうかがいますので、その時に拝見します。

その後、愛車を駆って帰路につきました。下記はお土産に頂いたグロキシニア。午前中の講演会、午後のレモン忌で会場に飾られていたものです。グロキシニアといえば、明治45年(1911)、駒込林町の光太郎アトリエ竣工の際、智恵子が光太郎に贈った花で、たびたび光太郎詩に謳われています。

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お土産といえば、今回、レモン忌にはご参加叶わなかった、青森十和田の十和田湖奥入瀬観光ボランティアの会の方から、ミネラルウォーター「十和田湖美水」が参加者に配られ、ありがたくいただいて帰りました。

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最後に、ネットで『福島民報』さんの企画展の記事が見つかりましたので、載せておきます。

二本松で企画展始まる 智恵子と光太郎に焦点

 二本松市出身の洋画家高村智恵子と夫で詩人の光太郎を紹介する企画展「智恵子と光太郎の世界」は2日、市歴史資料館と市智恵子記念館で始まった。11月27日まで。
 市の主催。智恵子生誕130年、光太郎没後60年を記念して企画された。智恵子が制作した油彩「花(ヒヤシンス)」や病床で完成させた「紙絵」、光太郎が智恵子を詠んだ詩集「智恵子抄初版」など二人にちなむ作品や資料合わせて約170点が両会場に展示されている。
 初日は資料館で開場式を行い、新野洋市長らがテープカットした。
 時間は資料館が午前9時から午後5時(入館午後4時半)まで、記念館が午前9時から午後4時半(入館午後4時)まで。料金は資料館・記念館セットで一般500円、高校生以下250円。問い合わせは資料館 電話0243(23)3910へ。



【折々の歌と句・光太郎】

北国の女人はまれにうつくしき歌をきかせぬものゝ蔭より
昭和5年(1930)頃 光太郎48歳頃

数年前に色紙揮毫の形で新たに見つかった短歌です。

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「北国の女人」はやはり智恵子でしょう。

これも数年前に見つけた、昭和25年(1950)、岩手水沢での光太郎講演会の筆記録に、こんな一節がありました。

 私は、私の妻の智恵子を思い出しています。七年間の病気。その最中に歌をうたうんです。実に機知にとんだうたを。学校でも、家でも、人の間にいてもうたったことがないのに、しかも、あのひなびたうたをうたうんです。花がすみ(酒の名)をつくったりする時のうたや、はやりうたをうたうんです。いつか印象づけられたにちがいないうたを、上手にうたうんです。

智恵子の歌声、聞いてみたかったものです……。