昨日はまた智恵子の故郷・福島二本松に行っておりました。

二本松市歴史資料館および智恵子記念館で、「智恵子生誕一三〇年・光太郎没後六〇年記念企画展 智恵子と光太郎の世界」が始まり、その開会行事および記念講演会、さらに午後からは智恵子を偲ぶ「第22回レモン忌」があり、それぞれ参加して参りました。2日に分けてレポートいたします。今日は企画展がらみで。

自宅兼事務所から愛車を駆って約3時間、午前8時30分頃、二本松市歴史資料館に到着。当方、雨男・光太郎の霊魂を背負っていますので(笑)、途中、茨城県内で驟雨に見舞われましたが、福島に入ると晴天となりました。東北道安達太良サービスエリアからの安達太良山が、「ほんとの空」をバックにきれいでした。

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9時から開会行事。

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その後、一般公開開始です。

会場は2階の2室を使い、光太郎智恵子の生涯を概観するコーナー、詩集『智恵子抄』やその二次創作等を紹介するコーナーなど。あまり広くないスペースですが、一般の方々は普段目にすることのないであろう貴重な資料がみっしり並んでいます。当方も実物は初めて見る、というものが少なからずありました。

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智恵子の実家、二本松(旧油井村)の長沼酒店の引き札。何とか入手したいものだと思っていますがなかなか見つからないものです。

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智恵子の文章が掲載されている雑誌。この辺りは蒐集の対象としていないので、実物は初めて見ました。

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智恵子が晩年、南品川のゼームス坂病院で制作した紙絵の実物が3点、展示されています。

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光太郎の肉筆揮毫。

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平塚らいてう、草野心平ら、周辺人物の肉筆。

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智恵子の顔を持つといわれる、「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)中型試作」。普段は智恵子記念館に展示されていますが、今回、歴史資料館に移動しています。智恵子の油絵、素描なども同じです。その代わり、智恵子記念館では紙絵の実物をごっそり展示しています。

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さまざまな『智恵子抄』。

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このあたりは当方がお貸ししたものです。

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なかなか充実の展示でした。会期は11月27日まで。ぜひ足をお運びください。

その後、近くの二本松市コンサートホールに移動、記念講演会でした。

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オープニングアクト的に、テルミン大西ようこさん、ギタリスト三谷郁夫さんによるユニット「ぷらイム」による演奏。花を添えて下さいました。曲目は一昨年、お二人で行われた「もう一つの智恵子抄」。
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その後、高村光太郎研究会員の大島裕子氏によるご講演。題目は「『智恵子抄の世界』―智恵子生誕130年に伝えたいこと―」。

本年2月に亡くなられたご主人・名古屋学芸大学教授だった龍彦氏がご生前提唱なさっていた、文芸学的な詩の読み方、近年明らかになった智恵子と竹久夢二の関わり、明治末、大正初めの智恵子の「婚約」などについて、興味深い示唆がありました。

この後、旧安達町のらぽーとあだちに移動、智恵子を偲ぶ「第22回レモン忌」が開催されました。例年はそちらで記念講演が行われますが、今回は企画展とタイアップ、レモン忌参加者以外にも門戸を開くということで、レモン忌とは別会場だったわけです。

レモン忌につきましては、明日、レポートいたします。


【折々の歌と句・光太郎】

山坂の道し遠けど人目なくば抱き来ましを都の智恵子
大正13年(1924) 光太郎42歳

「~ば~まし」は反実仮想。「もし人目がなければ、東京に置いてきた智恵子を抱いてきたものを」とでも訳しましょうか。光太郎、この年、奥上州山間の温泉を巡っています。

このように、『智恵子抄』所収の短歌以外にも、智恵子を謳った光太郎短歌が数種確認できています。すでにいくつかはこのコーナーでご紹介していますが。